智能気功について私に教えてくれたのは”永遠に続く道”というサイトを運営をしているkaoruさんであった。
永遠に続く道
http://eternalhighroad.blog100.fc2.com/
レイキの資料が充実しており、資料を見させて頂いたお礼を送ったところ、特に期待はしていなかった返信がきた。彼女は私にアドバイスをくれると共に、智能気功というものがあるとそのエッセンスについて私に教えてくれた。
私が智能気功で一番驚いたのはその概念の部分である。私が知っていた気功では、正気と邪気、陰と陽のようにプラスとマイナスの気のバランスをとって使っている。多くの流派ではそのようにしていると思う。通常は、良い気を吸収をして、悪い気を出す。良い気を回して、邪気を滅するなど。プラスとマイナスの二元論が存在をする。
ところが、智能気功の概念には混元気というものがあるという。これは陰陽が分かれる前の大元の気であると説明をされていた。正直おじさんが新しい練功法を学ぶのは難しかったので、私が自分の気功に取り入れられたのは、混元気の概念のみであった。
従来からの気功コントロールの中に、正気でなくこの混元気という陰陽分化前の気をイメージして、扱うようにしてみた。すると、数日もするとある変化に気が付いた。自分の気が大きくなっている。これは別に特別な意味でなく、一般論でいう気が大きくなるという奴だ。気分が鷹揚になっていた。
混元気を扱うようにして、私の何が変わったのかというと、そのエネルギー量にある。以前に比べて、扱える気の量が随分と増えたのだ。通常は正気を扱って、それを回したり、外から取ってきたりする。
周囲を見渡しても、正気を探すよりも邪気を探す方が簡単である。正気あふれた所を探す方が難しい。あまり考えたことはなかったが、正気は貴重品という頭が私にもあったのだと気づいた。
そして、陰陽未分化の気という混元気というものであれば、その辺に山ほどあることに気づいた。物体を作っているエネルギーそのものであるので、正気、邪気よりも多く、どこにでもある。極論、空間からも取り出せるし、自分もその混元気でできている。それが実感として湧いてきた。
つまり、お金はないが、気であればいくらでも人に与えられ、とても豊かであるということだ。それは、気が希少品であったという認識が、コモディティ(汎用品)になったという認識の転換である。
ある先輩と飲みに行った時にそれを話すと、彼は上手な例えをした。磨きに磨いた大吟醸酒は出し惜しみしてしまうが、水道水ならいくらでも振舞えるということだなと。その通りである。
この認識の変化が私の気を大きくした。つまり、気分を鷹揚にしたわけだ。
以前でも人に気を送ることはいくらでもできると知っていた。しかし、無意識の中では気は貴重品であると思って、出し惜しみをしていたことに改めて気づいた。
混元気は今まで扱っていた気に比べて、山ほど手に入るのだ。出し惜しみなどする必要はない。
それを、永遠に続く道のサイト管理者kaoruさんにもお伝えすると、とても興味深いととらえ方だと言ってくれた。
こういう話をできる相手というのは身近にはほとんどいない。だから、ブログでも書けばそれが共感できる人とも出会えるかもしれないなどと思ったわけだ。