ボヘミアン・ラプソディー

さんまの紅白歌合戦でTOSHIがボヘミアン・ラプソディーの一部を歌った。それを聞いて全曲を聴いてみたくなってYoutubeでQUEENのBohemian Rhapsodyを聴き直した。

この曲はオペラのように物語が進み曲調が変化するのと、殺人犯になった少年の心の葛藤を描いた当時の問題作である。ただ、その高い芸術性はアートがわからない私にも感じられ、かねてから何かその奥にあるようなものを感じてはいた。

今回、聴いてみて、この作品はとてもノンデュアリティー(非二元)なものではないかと感じられた。(とても勝手な評価だが)

好き勝手をして生きる少年が人を殺してしまった。罪を償う段になって、自分は死にたくないとママに助けを求めながら、悪魔が自分を抹殺しにくることを恐れる。葛藤の末に最後は「どうでもいいんだ、大丈夫、どうせ風は吹くのだ」と締めくくる。

普通なら観念をして、あきらめたと感じるだろう。私も今まではそうだった。しかし、冒頭に「これ(この世界)は現実なのか、それとも幻なのか?」「(めちゃくちゃリアリティがあるので)地滑りのように巻き込まれる」とある。

ここにとても非二元さを感じる。この世は現実と思い込んでいるものが、実は幻想であり、現世であることにいくら悩み苦しんでも幻の体験でしかない。

ただ、とてもリアリティがあって、自我にとっては現実だとしか思えない。その現実はどうにも勝手にはならないし、なるようにしかならない。それを「どうせ風が吹く」と表現しているのだはないかと。

真理に気づくと、殺人者としての人生を歩んだとしても、実はその苦しみ、葛藤を経験するためのことでしかなく、本当は全く大丈夫だとわかる。

人は死んだとしても永遠の生命なのであり、この世の出来事はすべて神の遊戯に過ぎない的なメッセージなのかも・・・と。

そう考えると、フレディマーキュリーという人は実に悟りきった人物だったということになる・・・などと妄想をした。

彼がどのようなつもりで書いたのかはわからない。しかし、これはとても繊細な感受性で書かれたものだ。

人に新しいインスピレーションを与える作品というのは、やはり芸術なのだろう。