お札というもの

お札やお守りというものには扱いというものがある。これは仙道の師匠から教わったことである。お札、お守りというのは買ってきただけでは、本尊と繋がってないことが少なくない。神社仏閣ではお祓い・御祈祷はするのだが、お札を作っても、本尊とつなげないと起動しないと知らない神主、住職も少なくはない。 これは元々は呪術の作法であるがそんな認識もあまりないだろう。神道、密教、修験道、陰陽道、仙道は皆呪術だ。

お札というものは、ポータブルな神社、お寺のようなものである。昔は、神社仏閣に毎日はお参りに行けない人でも、出先機関としてお札を頂き、毎日拝むわけだ。今でいえば、スマホで神社仏閣の神様とテレビ電話をするようなものである。

ところが、テレビ電話できるスマホがあっても、電話を掛けないと神様・仏様とは接続しない。お札とお守りを飾っておけばご利益があると勘違いをしている人が多い。

気功師や霊能者であれば、お札・お守りを本尊とつなぐことで、神の気、仏の気を取り込む窓とすることができる。そこから、日々(たまにでも)お参りをするのが正当な使い方といえる。では気功師や霊能者でないと、お守りを本尊につなぐことはできないかといえば、そんなことはない。そもそもお札に日々御参りをしていれば、本尊とは自然とつながるものである。少なくとも、お札を買ってきて何回はしっかりとその本尊をイメージしてお参りはした方がいい。さもないと、単なる紙切れを飾っておくことになる。私の経験ではお札やお守りを買ってきて、そのまま実力を発揮しているお札は少ない。

ある友人のお宅に行った時に、不動尊が好きだということで、部屋の片隅に山ほどの不動尊のお札を並べていた。しかし、全部まったくの紙切れであったので、まずは本尊とつなげた。さらに、お札を同じ所に並べずに、せめて各部屋に置いてそれぞれに参拝をするように勧めた。そもそも、不動尊のお札を5枚も6枚も買ってくる必要もない。お札を買って飾りさえすればパワーが手に入ると勘違いしている良い例である。