両親が亡くなった際の不思議

父は脳梗塞で倒れて長い間意識がない状態が続いていたが、2月の寒い時期に肺炎で亡くなった。57歳ぐらいでまだ若いといえる。母は私が大学生の頃に脳腫瘍をして回復をしていたが、父の看病もあり脳腫瘍が再発をして、亡くなる頃にはあまり意識がなかった。

父が亡くなった夜である。私は東京の社員寮でビデオを見ていた。22時過ぎだったか急にビデオデッキが動かなくなった。うんともすんとも言わない。仕方がないのでシャワーを浴びて寝ようと思ったら、電話がかかってきた。父が亡くなったという弟からの電話であった。翌日に実家に帰ると伝えて電話を切る。

状態が状態であったので、亡くなったのはやむを得ないのだが、自分では何が起きているかよくわからなかった。シャワーから出て、ビデオのリモコンをいじるとその時はビデオデッキは動作した。

その後、買い替えまでの1年ぐらいは一度も動作不良なかった。その時は不思議だと思ったが気に留めなかった。後で考えると、亡くなる人が挨拶に来ると家電が誤動作するという。亡くなった時間とも一致をする。

父の通夜・葬式は母には知らせないで行った。意識があまりない状態だったので、知らせても仕方がないと思って同室の方・看護婦の人にもそのようにお願いをしていた。ところが、ほとんど話さなくなっていた母が葬儀の日に「お父さん、もうダメ。」と言った。繰り返し同じ言葉だけ。

そして、葬儀の翌日には「お父さん、あつい」と言った。長く父のことなど話さなかった母が謎の言葉の話した。お父さんに向かってあついと言ったのか、お父さん自身があついのかはわからない。

たしかに父は「もうダメ」状態になり、火葬により「あつい」状態に置かれた。夫婦というものは不思議だと思った、テレパシーか何かでつながっているのだろうかと思った。

今ならわかるが、人は人と気でつながっている。なので、心配をする相手のことが直感でわかっても何の不思議もないのだが、当時は少しぞっとした。

父が亡くなる前の年末に母が持ってあと半年と余命宣告を受けていたので、会社へは休職届を出して4月からはしばらく名古屋で両親の看病をしようとしていた矢先である。言ってすぐには休めないのが会社である。

2月に父が亡くなって喪主と務めて、必要な整理をして、また東京で働いていた。4月1日に東京から実家に戻った。そして、3日には父の四十九日の法要をする予定であった。2日の午前病院に顔を出して、介護士に母をお願いして法要の準備に帰っていた。その夜の23時以降に危篤の連絡を受けた。

母がなくなったのは4月3日の0時3分。くしくも当日は四十九日の法要である。法要をお願いをしていたお寺には朝で電話をして、ついでに午後からは通夜も一丁お願いしますなどという妙な電話をすることになる。

なんのご縁かはわからないが、夫婦はつながっているという感覚は強くなった。

父が母を連れて行ったとは思わない。夫婦仲良く道連れの旅というご縁も悪くないとは思う。それは運命である。

もっとも、見送る側はたまったものではないが。父の兄弟は7人兄弟だが、叔父叔母夫婦で叔父が亡くなると1年ぐらいで叔母が亡くなり、喪中はがきが続くケースが多かった。なんの因果か、どうやら夫婦道連れの家系のようである。

当時の私は見えない世界のことなど全く信じてはいなかったが、まったく腑に落ちない出来事が続いたのを見て、不思議なことはあるというその後の信念の一部になった。