ドラマ 心の傷を癒すこと

神戸大震災の際に活躍された安克昌医師をモデルにしたドラマだと言う。

近藤正臣演じる永野教授が「私の考えでは精神病患者の特性はわずかな兆しを読み取る能力が長けているということ、その利点を損なわないようにすることが大切だ。」という。これは大変に機知に富んだ意見である。

HPSやエンパスという言葉がある。私はたぶんその分類にあたる。波動が明示的にわからなかった時期でさえも無意識に他人の波動が伝わっていたと思われる。エンパスはテレパスではないので思考の中身がわかるわけではないが、感情の起伏の特にマイナスが直感で嫌なものとして伝わってくる。

道を歩いていて、大学生の女の子二人が目の前でキャーと言いながら再開を喜んで歩み寄った。ところが片方から顔には出さないイヤーという悲鳴のようなものが、ドンと私な腹に飛び込んできた。一人は喜びで抱きついた、相手にとっては想定外に近すぎる距離感だったのだろう。手をとって喜ぶぐらいの距離感が良かったはずだ。それで顔にも声にもでない悲鳴となった。

横を歩いているだけでそんなのが飛び込んでくるのは、たまったもんじゃない。予期してないため、バリアを張るのもままならない。今ならそれがわかるが、無意識にやっていると妙な嫌悪感だけを感じることになる。

感じすぎる人は時に生きづらさを感じるが、ひどい場合は精神疾患になってしまう。もっとも、それが運命であり、カルマなら乗り越えるしかない訳である。

ドラマの中で、終子が和隆に公園でハグをして「充電してもいい?」としばらくハグをするシーンがある。これは理にかなっている。陽の気をもつ男性と陰の気をもつ女性がハグすれば、自然と気の交換が生まれる。仙道の房中術である。日本では房中術はセックスの技法と勘違いされているが、服を着ていても、触れなくともできる陰陽の気の交換術のことである。気は流れを生じさせないと淀むし、高低差があれば自然と流れる。

そういえば今は単身赴任で男やもめな生活をし、オフィスでもあまり女性と関わることもない。女っ気がないのは、気が淀みやすいということかもしれない。(笑)