限界です

友人との話の中で、ストレスが溜まっているという話をしていた。その思いを認めてしまうと人前で不満や文句として出てしまいそうになるので、それを押しとどめるのが大変という。それを見ない振りして心の隠れたの部分に溜め続けるといつか限界が来るものだ。もう、それは限界が来ているということで意見の一致をみた。

いい人にありがちな話であるが、他人の目に気を使い、自分の中に不満が解離として蓄積をする。実は一番大切な自分のことを後回しにしている人とも言える。張り詰めた風船のようにパンパンになってしまうと、中身が出てこようとするのだが、我慢強い人はそれでも押しとどめようとし、つらくて仕方がない。

そう考えると不満と文句を垂れ流す人も、自分の中にたまったものをガス抜きをすることで無意識にバランスをとっているのである。自分ではどうしていいかわからないので、そうなっていることもあるだろう。私も昔から文句が多い人であるが、自分の中にたまった苦しみ・悲しみ・恐れ・怒りなどを統合をかけてからは、自分としては文句は幾分減ったと思う。

人のネガティブな感情が解離として蓄積する時に、それは非言語の存在としてある。イメージは一度言語化しないと”私”には理解することが難しい。そのため、自分の中に溜まった想いを言葉にすることは大切である。自分の思うことをノートに書いたり、感情を泣いたりわめいたりして表現をしたり、誰かとの対話の中で言葉にして話すことは、自分を理解し、統合をするのに役立つ。USPTや他のカウンセリングもその手段の一つである。

知人の前で爆発させるのを良しとしないならば、カウンセラーのような専門家の前でも、人のいない所でひとりで表現をしても良い。個人差はあると思うが、自分の内面に溜まった想いというのは自分が考えるよりもはるかに大量にあるものだ。

助けを求めて回れば誰かが必ず手を差し伸べてくれるものだ。たとえ今の自分の周りにいなくても、少し離れた所には必ずいる。そして、自分で求める事で必ず出会う。そういうものだと私は思う。