両親への自責

20代後半には両親を二人とも同時期の闘病生活の末に亡くした。

なんの親孝行を出来ないまま両親が逝った、病気になって弱っていく両親に何もしてやれなかった、もっと何かうまくやれることがあったはずでそれができないのは自分が悪いからだ。そんな自責の念が止めどもなく湧いてきた。真面目で頑張り屋の良い子にありがちなことだか、私もそんな類の人でその後にぶっ壊れた。

自分に起こることは、自分の行動や思いによって決まってきて、親に何もしてやれなかったのは自分がダメだからだと思ってしまう。エゴの集合意識である社会からは散々そう擦り込まれた。その行き着く先は 自責の塊になっていってしまう。

しかし、今はそうではないのでは?と思っている。

親になってわかったことは、子供は親孝行などをわざわざする必要はない。生まれて、無事に育ってくれただけでも十分な親孝行だ。親にとって子供が先に逝くのは耐えがたい苦痛だ。そもそも、生まれてきてくれただけでも、十分に親孝行なのだ。子供が10歳の時に学校で2分の1成人式と言うのがあり、手紙を書いた。生まれてきて、こんな立派に育ってくれてありがたい。元気に生きているだけで、親としては満足だ。と言うようなことを書いた。極論、親が望むのはどんな風であっても生きていてほしいだけなのだ。立派でなくとも、成功しなくとも、本人がそれなりに幸せで生きていてくれたら、親はそれで十分だ。子は親に恩を返す必要はなく、本人の子や孫、さらにはご縁のある次の世代に返せば良い。うちの両親もそうだったのではないかと思う。そう思った時点では確認のしようがないのが残念ではあった。

人にできることは個人差があり、大したことができないことも多い。自分に回ってきたお鉢の範囲でしか選択はできない。それがご縁である。出来る選択肢の中で自分が親にしてもらったことを自分が誰かにしてあげることができれば十分に親孝行である。それは両親が死んですら世の中にできる貢献でもあろう。

そんな風に思ってすらも、時々医療ドラマなど見ていると当時の苦しい想いがやってくる。たとえ腑に落ちて人にそう語れたとしても、自分を許すのは簡単ではない。