映画 翔んで埼玉 ネタバレ注意

映画は好きでよく観る。もっぱら、テレビやビデオではあるが。週末に公開時に随分と話題になっていた「翔んで埼玉」が放送され、ビデオ録画して観た。

パタリロで有名な魔夜峰央の原作は30年ほど前に描かれたという。いわゆる耽美漫画の大家である。今ほどはジェンダーマイノリティに寛容でない時代から描かれている。 「翔んで埼玉」 がなぜそんなに大人気になったのかの詳細は一切知らなかったが、確かに面白い。挿入歌であるさいた・まんぞうの「なぜか埼玉」もなぜか口ずさめてしまうぐらいに懐かしい。

内容としては、かなり振り切れた設定の時代劇SFのような訳のわからない世界での出来事、埼玉は東京、神奈川に虐げられている。ただ、その内容は現実世界でも思い当たる節のあることばかり。ぶっとんだ設定でリアルを笑い飛ばすようなブラックコメディである。虐げられた埼玉人は主人公たちに導かれて、立ち上がり現代の日本ではイメージできないクーデターを引き起こす。

埼玉、千葉、茨木、群馬はかなりディスられており、この映画がなぜ人の共感を生んだのかを考えてみた。これは格差のがある世の中で、差別される側がそれを乗り越えていくお話なのだ。人は多かれ少なかれ、差別とまでいかなくとも格差を感じて悔しい思いをしたことはあるはずだ。何かで差別を受け、顔ではへらへらとして何もなかったように振舞い、その内側では悔しさで泣くような経験をしたことがない人はむしろ少ないのではないか。そういった人が共感し、それを乗り越えていく主人公たちに強いカタルシスを感じる。そんな映画だと思う。

今の時代はジェンダーのマイノリティの人々も声を上げカミングアウトできるし、それを受け止める土壌も出てきた。マイノリティはジェンダーだけではない。発達障害と呼ばれる人、霊能者やエンパスのような人、オタクと呼ばれる人も他人とは違うことで悩むマイノリティである。さらに、言ってしまうとそれぞれの体験・経験が違うことで互いに理解がしあえない人間というものは、実は一人一人はすべてマイノリティなのである。人とは違う感じ方、考え方、行動の様式があった場合になかなか人には受け入れられなくて、悔しい思いをするのが人である。

とても馬鹿げた話で笑い飛ばせる内容になっているのだが、実に人の本質をついた作品であったのではないかと私は思う。