絵画の波動 2

先の投稿に後輩にアマチュアの絵描きさんがいると書いたが、彼はプロの画家を目指すのだという。昨年から描き始めたらしい。絵を描いていることを知らなかったのも当然である。たった1年でよく上手な絵をたくさん描くものだと感心をするが、そんな才能がないとそもそもそんな大それたことは考えないだろう。50代半ばからプロの画家になろうというのだから、なんとワクワクする話であろうか。歳を重ねると新しいチャレンジができないものである。それをこれからプロの芸術家を目指す。70歳で小説家デビューした人もいたはずなので可能ではある。私は応援をしたいと思う。

ネット上ではあるが、最初に見せてもらった絵はとてもエネルギーを感じる絵であった。私の経験では芸術作品からは強いポジティブなエネルギーを感じることが多い。インスタグラムでいろいろな作品を見せてもらったが、まだ全作品がポジティブな気を放つ作品ではないものの、作品によっては本当に強い気を放っている。

私自身は全く絵心はないし、芸術への興味もさしてない。ただ、美術館、博物館ではそれぞれの作品の放つ気を観察をしてきた。その観点から波動芸術論を考えてみたい。

これは仮説に過ぎないが、感動とは個性の放つポジティブな波動への共鳴であると定義をしてみる。波動にはポジティブな波動とネガティブな波動はある。ここではポジティブなことのみ話をする。ポジティブな波動とは愛の波動と言い換えることができる。人を思いやる心、人を愛する心、喜びを分かち合う心などである。ここに人を心配する心は入らない。

私は”芸術”の定義としては、”自我による人と繋がりたいという能動的欲求からでる個性的な表現である”と考えている。だから、条件としては自分の個性の表現であることと内から湧き上がる表現であることが芸術であると思う。商業作家がよくアーティストと言われているが、マーケティングによって人の顔色をうかがう作家より、アマチュアで好きでやっている作家の方が、本来はよほど芸術家であると私は考えている。

とはいえ、世に出るという前提を考えると人気が必要となってしまうので、そこのさじ加減は難しい。

感動を個性の放つポジティブな波動への共鳴と仮説を立てると、作品には2つの条件が必要となる。

①自我の個性を能動的に表現したものであること。

②ポジティブな波動を持つことである。

①は自分というものを知り、自分が他者と繋がるために何を表現をしたいのか?を知る必要がある。芸術家が苦悩の末にある種の達観をした人であることと関係性がある。自分自身と向き合う経験をしない限り自分が何を表現をしたいかがわからないからだ。そして、自分と向き合わざるえなくするのは往々にして苦悩である。私自身はまったく芸術とは無関係であるが、多くの苦悩を経て、今があることからは共感する部分がある。勘違いしてはいけないのは、苦悩することが大事ではなく、自分と向き合うことが大切なだけだ。苦労は買ってでもしろというが、そもそも生きる事自体が苦の連続である。苦労など買ってまでするもんじゃない。艱難辛苦を我に与えたまえなどというマゾヒズム趣味は鹿之介さんに任せておけば良い。お釈迦さんも苦行は失敗だったと言っている。

もし、自分が他人と違う部分があるのであれば、 人のいかない道の方が個性のエッジが立つということはあるかもしれない。自分がしたいことで、他人がしないようなことである。

②は作品を通して、自分を含めた他人の幸福を祈ってその作品に込めることができるか否かにつきると私は思う。わかりやすい所で言えば、ただ喜び、楽しんで作品作りができるならば良い波動のものはできるだろう。ただ、それがどうやったらできるかは個々人によって違う。そんな方法がわかってるなら、私が新進気鋭のアーティストとしてブイブイ言っているであろう。(笑)

歌手の松崎しげるさんがインタビューで言っていたのを聞いたことがある。彼は迫力のある歌唱で代表曲「愛のメモリー」を長い間歌い続けている。彼は歌う際に曲を聴いたオーディエンスが幸せになれますように祈りながら歌うという。彼のCDをそれから何枚か確認をしたが、実に歌の波動が素晴らしい。彼だけではなく、30年、40年と歌い続ける歌手の皆さんは同じような思いを込めて歌っているのだろうし、だから聴かれ続けるのだと思う、

後輩の絵描きさんは昔から、端正な顔立ちのハンサムな男だが、物静かで温和な人物であった。どちらかというと個性の強い、騒がしい人が多い中で透明感のある静寂を感じた。それが絵にもでるのであろう。もちろん、体調やメンタルも影響をするに違いない。心の安寧をはかり、作品作りには向かい合う必要はあるだろうし、瞑想なども役に立つのかもしれない。

ひとつ禁則があるとするならば、商業画家を目指す時でも作品作りをする際には一義的にお金を求めるのは避けた方が良い。それは絵の具と共に不足感を塗り付けることになる。お金が悪いのではない、不足が問題である。この世は有限と不足の世界である。ポジティブな波動の共鳴を感動とするならば、この世界に満ちる真逆のエネルギーを込めることになる。当然ではあるが、商業作家としてやっていく時にお金と無縁でいることはできない。ただ、絵を買う人はそもそも豊かさの世界に生きる人たちが中心となる。だから、作品作りに向かい合う時だけは、不足感とは無縁であることが良い。

この世界は、不足感の満ちた世界と豊かさに満ちた世界が混在をしている。絵を買うような人は豊かさの世界に生きている。そして、豊かさもまたエネルギーである。私はそう思うのだ。