突き動かされるような表現

近所のスーパーに行く途中の道端で、長尺の一眼レフカメラで若い女の子の写真を撮る中年男性がいた。

装備を見るとたぶんアマチュアカメラマンであろう。カメラ業界にいた時にカメラショップで出張カメラモデルのチラシを見たことがある。今はいろんなサービスがあるものだ。

カメラに携わる者として、撮影とは何かと考えたことがある。自分の見た光景を人と共有したい、共感してほしいと思う人が突き動かされるようにして写真を撮るのでは思ったものだ。

芸術表現のモチベーションとはそんな所にあるのではないかなどと、芸術など全く興味がなかった私が、そんな風に思ったのを思い出した。

被写体は人それぞれに撮って楽しいものが違う。きれいな女の子の写真は私も好きだが、私なら何を撮るだろうか。人それぞれに表現したい方法も違う。私は差し詰め写真や絵画ではなく、文章であろうか。絵心など全くないが、言葉であれば文章にしても、話すことにしても溢れんばかりに出てくる。

まあ、言わば口から先に生まれてきたタイプという奴である。(笑)

私は芸術とは他人から評価が得られる優れたモノではなく、その人が突き動かされるようにして、喜びや楽しさなどポジティブな表現を行う行為自体が芸術だと理解している。だから、本来は優劣すらないと思う。商業主義や現実問題としてそれで食えるか否かが入ってくると大人の事情となってしまうのはやむを得ないが。

だから、実はアマチュアの方が純粋な芸術家ではないかとすら思う。勿論、これはあくまで個人の考えであり、意見は人の数だけ存在する。