縁切りについて

先日、オカルト好きの方々で出た話題で縁切り榎についてスゴイというのがあった。行ったことはないが、板橋本町にある有名な縁切りスポットである。

その際の効能としては本人の意識が変わったということだった。もちろん、これは聞いた話であり、私がその効果を確認した訳ではないが、興味をもった。

縁切りの作法というのはよく勘違いをされるのが、○×さんが自分にとって嫌だから縁を切りたいとか、○×さんと✖✖さんの縁を切って別れさせてほしいというような呪いのようなことを願う方も少なくない。実際に絵馬を見るとその手の祈願が実在をするという話もしていた。

そんなものは呪いであり、邪気以外の何者でもない。

本来の縁切りというのは、悪因縁を手放して、自分も相手も皆が幸せになるように願うことである。その本質は自分の中にある悪因縁に関わる観念や想いを手放すことにあると私は考える。そういった意味では、本人の意識が変わるというのは真っ当な見方である。

注意点としては、以前に私の信頼する霊能者の友人が言っていた話を思い出す。縁切りの作法というのはあるが、あまりお勧めできるわけではないと。

その際の私の理解はこうである。ご縁というのは、良縁も悪縁もあり、それが絡まって存在しているものだ。ある人とのご縁を切ろうとするとそれにまつわる良縁も含めて切ってしまうことになる。だから、ご縁を切るまでもない場合、ご縁を遠ざけることで済ませる方がいい。縁切りは最後の手段である。

当時の事情としては、厄介事を持ち込む人がいて、触らぬ神に祟りなしという判断であった。ただ、その人とは別の人を経由して知り合っており、悪縁を切れば、別の良縁も含めて丸ごと切ってしまうのだと理解した。

縁切りをする時には、自分が考えている悪縁だけでなく、想定外の縁まで切れることを覚悟をしてすべしということだと私は考える。自分の波動を切り替えれば、つながる並行宇宙ごと切り替わる。

そうなれば自分にとっての良し悪しに関わらず、何から何まで変化してしまうこともありえるのだ。ただし、どうしようもなく行き詰った場合において、すべてを清算することも視野に入れるならば、縁切りの作法はアリだと考える。まさに新しい人生を手に入れるための最終手段と言えよう。

縁切りスポットに行くと前出のような呪いのような祈願(邪気)もあるだろう。だから、もし行かれるならば午前中の早い時間に行き、呪いのような願いではなく、悪縁を手放すことですべてが良きように導かれることを祈念することをお勧めする。

もちろんだが、その覚悟を持って。