ビニール傘は天下の回りもの

行きつけのバーで周年パーティーがあってその帰り。ビニール傘を持っていったので、残っていた自分の傘を取ったつもりだった。

ところが歩き始めてから、ふと気づくと柄の部分にあった目印の輪ゴムがない。物は全く同じ傘だと思ったが、どうやら入れ替わったようだ。

ビニール傘は同じような商品が多いので間違え易く、誰かが私の傘を持っていって、別の傘が残っていたようだ。ビニール傘はこうやって天下の回りものになるわけである。これは目くじら立てても仕方がないなと思った。まあ、そんなもんだと許容する。

天下の回りものといえば、お金が元祖である。お金は勝手にすり替えたり、持って行かれても困るのだが、お金もいろんな人の所を渡り歩くという意味では同じなのだと思う。

ああ、そうなんだ、お金って回ってるんだ。それでいいんだ〜と許せるとよい。自分からお金が出て行くこと、他人にお金が入っていくこと、そしてお金が自分に入ってくること、それを傘にしたように許容できるといい。まあ、いいかと言う感じに。

お金については、○○でないといけない、○✖️であるべきと言う固定概念、強迫観念が強い。目くじらを立ててしまいがちだ。ビニール傘はありきたりな物であると言う頭があるので、許せたりする。お金については特別感、貴重感が強すぎてどうも普通に扱えていない気がする。

肩の力を抜いて、ああそうなんだ〜と思えると良い。