ドラマ絶対零度 最終回

ネタバレであることをご承知頂きたい。犯罪を憎み、犯罪を無くすために、自ら犯罪を犯した犯人は、主人公の妻子を殺した仇であった。

犯罪被害者として悩み苦しんできた主人公は犯人を殺すこともできた。しかし、「お前は私だ、私がお前の立場になっていてもおかしくはない」と犯人を許す。憎しみを乗り越えて、人を許せるのかについて、一つの解を与えてくれた気がする。自分の家族を殺されて犯人を許せないし、犯罪自体も許せないと言う人々は多数いる。そんな人たちの中には、その憎しみから犯罪に走ってしまう人が出てくる。そして、それは誰がそうなっても不思議ではない。ある意味、代表としてそうなるわけだ。

私個人的な考えとして、生まれつきの障害者、発達障害、サイコパス 、LGBTの人たちは、自然の摂理の中で一定の歩留りで生じることから、誰かが引き受けるしかないものであると考えている。だから、その方々にはある意味で感謝と敬意を払う必要はある。LGBTの人たちは子孫繁栄に直接貢献することは少ないかもしれないが、性的マジョリティの人が普通に子供を作れるのは実はその下支えがあってのことである。誰かが性的マイノリティを引き受ける必要があり、それを引き受けてくれたことで、実は全体に貢献をしているのである。そして、それは楽ではないはずだ。それと同じかも知れないと思う。

自分がなっていても不思議はない犯罪者と自分は同じなのだと考えた時、相手を責めることができるだろうかと言う問いかけである。なるほどと思った次第だ。

私自身が家族に危害を与えてられて相手を許せるかと言われると自信はない。事実、息子を交通事故に合わせた高齢者を許せたかと言われても、いまだにどうかわからない。許せないし思いはある。

非二元的な考え方をすると全ての存在は一なるものの現れに過ぎない。犯罪者を憎んでもまた自分を呪うに等しい。私の自我はオンボロだがまだ健在であり、悟りはまだ遠い。人を許すと言うことの難しさを感じる。