必要なものとあれば良いもの(不必要なもの)の分別

私はコロナ問題でテレワークで自宅勤務となって、もう随分になる。世の中には自粛ができている人もできてない人もいるだろうが、大半の人はしたい事を我慢する日々ではないかと思う。

今回の世界的な活動の自粛はある意味、人間社会としての断食、もしくは断捨離のようなものである。断食をすれば老廃物を排出し、体質も変わるのではないか。いろんな意味で今回の出来事は人や社会に大きな変化をもたらすのではないかと思う。もちろん、多くの人はきっと元の生活に戻るだろうが、それでも必要だと信じていたものが実は不必要だったことに気づくのではないか?不必要とまで言わなくとも、あれば良いが絶対必要ではない事を知ってしまうのだ。

お店も自粛で休業をしているのだか、絶対に必要な機能は開店をしている。世の中にとても便利な商品やサービスはあるのだが、生きるために必要なものは実は限られている。緊急事態の中で様々なことのルールや習慣を簡素化しているが、後にそれは元々不要だったのではと言う議論がされるだろう。中には経済活動のためだけの機能もあり、それは本質的には生きることとは全く関係ないのだ。また単なる惰性で続く習慣もある。それはあったら良いが、実は無くても構わない。多くのモノが、単なる便利グッズに過ぎない。そんな当たり前の事を社会の拝金主義的常識は隠してきた。それ暴くような体験をこの生活の中でそれぞれの人が経験している。もちろん、ある人にとっての必需品がある人にとっては全く不要と言うこともある。

今は皆が死を覗き込んでいる状態なので、個々人の価値観の差がハッキリとする。皆必死なのだ。

その結果が何につながるかはわからないが、ドラスティックに無駄なものを削ぎ落としていくのではないか?などと考える。世界中の人が自分もいつ死ぬかわからないと切実に感じるような出来事は滅多にあるものではない。ある意味、世界大戦的な体験をしているのかもしれない。

この経験が人類にとって良いものになりますように祈るばかりだ。