人が助け合う社会

テレワークの際に昼の弁当を買いに出かけた時のこと。

近所の下宿屋の前で老人が階段に登れずに困ってた。近所でたまに見かける人だった。

通りかかった私は手を貸しましょうかと言い、手を貸した。歳は80ぐらいであろうか、

彼は杖をついているが、脚がかなり弱っていて自力では自宅(下宿屋)の階段を登るのにも苦労をする。

7段ぐらいだろうか、私の腕につかまって階段を登った彼は「ありがとう」と笑った。

私が最初に思ったのは、このヨレヨレの老人を介助もなく、一人で住まわせているのか?と思った。だが、そもそも身寄りがいないケースもあり、人にはいろいろな事情がある。

次に思ったのは、これを明日が我が身だと思うと長生きなどするものではないという事だ。

その感覚は若い頃からある。両親は共に50代で闘病生活の末に亡くなっている。70代、80代に生きているイメージなど私にはわかない。

たとえ、今家族がいたとしても、何が起きるかはわからず、先々に孤独になる可能性がないわけではない。経済的なことも先々にどうなるかなどわからない。

ここまで考えて、私はハタと気がついた。私は「自分は誰からも助けなど受けられない」「他人などに頼る訳にはいかない」「弱肉強食の世知辛いのが世の中だ」という”常識”に支配されている。

この考えによれば、他人は敵である。これは若い頃から刷り込まれている。現代の社会において、この考え方はけっこう主流ではないかと思う。

このような思いは、過去にも何度か統合をかけているが、やはり根強く残っている。

この世界は孤独を体験するためにあるようなものなので、孤独からの問題は簡単にどうにかなるものではない。

ただ、浮き沈みの激しい波乱な人生を歩いてきた私はどうしようもない時に、謀らずも他人の手助けで切り抜けることができたという経験をした。

手を差し伸べてくれる人がいるという幸運は誰の身にも起きるかもしれない。

運というものの不思議さと人の恩のありがたさを実感した。運が良かっただけとも言える。

そんなのはたまたまだという人もいるだろう。もちろん、他人を当てにするようなこともまた違うのだとは思う。

階段で困っている人がいたら誰かが手を貸す、何かに困っている人がいると肉親でなくとも誰かが手を貸してくれる。

それが当たり前の世界であれば、どんなに人は安心して生きていけるのだろうか。

私はこの世界の世知辛さばかりに目を向けるあまりに、少なくはあるかもしれないが、手助けをしてくれる人がいても不思議ではないということをつい忘れがちである。

コロナ禍により、母国に帰れない外国人に手助けをする人がいるとテレビでやっていた。地獄に仏とはまさにこういうことである。

特に見ず知らずの土地で心細い中ではありがたいことこの上ないであろう。その外国人が国に帰った後に、もし日本人が難儀している時に何か手を貸してくれるかもしれない。

その手の事例は実際にある。

昔、イランイラク戦争の時に、テヘランに日本人が取り残された。JALはさっさと撤退し、日本政府はこの人たちを見捨てた。

大使館の人がダメ元でトルコに救助を求めるとなんとトルコの人たちはチャーター機を飛ばしてくれた。それも日本人優先でだ。

これは明治時代にトルコの戦艦エルトゥールル号が座礁した際に日本人が救助をしたことをトルコの人々が忘れなかったからだと聞く。

100年も前のことだ。

私はこれよりも何年も前だが、イラン革命直前のテヘランに住んでいた。帰国して1ヶ月後にはテレビはイランの暴動騒ぎで大変な状況を告げており、渦中の同級生の身をを案じたものだ。

元々は父の赴任期間はあと1年あったが、たまたま急病で帰国することになったのだ。一歩間違えば、自分や自分の大切な人が渦中の人になっていたかもと考えると肝が冷える。

だから、イランイラク戦争の件は他人事とは思えず、トルコの人たちには感謝をしている。

誰もが余力がある時に誰かに手を貸すような社会であれば、たとえ歳を取っても、何か病気や障害で不自由になっても、不幸な気持ちにならず生きていけるのではないか、などと思う。

ご老人に手を貸した事で特に対価を求めるつもりはないが、このような気づきを得たことで、すでに対価を戴いたに等しい。

ありがたいことである。