日本画家 伊東正次さん2

先週、京王プラザホテルで観た日本画家の伊東正次さんの絵が痛く気に入ったので、その後に2回通った。

2回目は波動の再確認、3回目は絵をしっかり見てみようと思った。実は私は絵を見ているわけでなく、その波動に大変感動をしたが、絵自体はたいして見てなかった。だから、しっかり見てみようというのだ。

元々、絵を描くのは苦手で、美術にはほとんど興味はない。ただ、美術的に優れた作品の中には高い波動を出すものがあるので、そういう興味はある。でも、作品の良し悪しなどまったく興味がない。そんな私が3回も通うのだから珍しい。

これは私にとっては神社に通うのと同じだったりする。パワーストーンや仏像、お札や神社などパワーを出すものが好きで、〇描いてチョンの絵であっても、波動が強いのであれば、それで十分なので美術が好きとはとても言えない。(笑)

伊東さんの絵画を改めて細かく見てみるといくつか気づいたことがある。大屏風や巨大なキャンバスに描かれた絵は顕著だが、書き込みがかなり念入りで丁寧に書き込まれている。桜の花は描いた上に闇の黒を塗って、その上にさらに桜の花びらを描くなど。

絵画などをそんなにしげしげと見たことのない私からするとそれが普通なのかどうかわからない。たとえば、小さめの額の絵を巨大な額の絵に描き直す際に、拡大コピーをするのなら簡単だが、9倍のサイズにすると9倍の解像度で描いてある。絵が巨大なだけに、これができる精力というのはすごいと思う。

これはたぶん、絵画としては素晴らしいと思うし、巨大な絵を写真に撮ったとしても解像度が追い付かないと写真では本質が表現できないという作品であると言える。

そういった意味では伊東さんの絵画を写真にとっても、原画の素晴らしさは写真を見ただけではわからないだろう。そういう意味では絵も素晴らしいし、こんな細かい細工の作品を描けるということ自体が私には信じられない。

21世紀は波動の時代だと言われて久しい。しかし、絵自体も素晴らしいがこの素晴らしい波動を出す絵はまさに21世紀の芸術だと私は思う。今はまだまだ多くの人が知らないかもしれないが、時代はそれに気づくと私は思うのだ。

これは余談だが、私が絵を観ているとギャラリーに一人の紳士が入ってきた。彼は背中に重い生霊というか、他人の残像思念を背負っていた。死んだのではない。しかし、ギャラリーを出ていく時にはすっかりそれが取れていた。

伊東さんの絵はちょっとしたパワースポットを作るのだろう。