軍艦と自衛艦

知人のクルーザーに乗せてもらって、横浜から横須賀の浦賀まで遊びに行った。コロナ問題を気にして、少人数でのクルージングである。アウトドアなので、換気十分であり、感染対策は大丈夫だ。

今年の夏は飲み会すらままならず、夏の終わりに初めて夏らしいことをした。途中、猿島を沖から眺めるとフェリーから降りる大量の人、浜辺にいる人たちがあまりにも三密なのに驚いた。屋外なのが救いだ。

みな、夏は海に行きたいだろう。子供が小さいならなおさらだ。子供があどけない時期などそんなに長くはない。それを楽しまないのは人生の大きな損失である。可能な範囲でそれを楽しまれることを切に祈る。

途中、横須賀港に入港して、米軍と自衛隊の艦艇が見えるというので近くから米軍と自衛隊の駆逐艦や巡洋艦を見た。他に南極観測船しらせも停泊していた。

写真を何枚か撮ってきたが、世が世なら私は憲兵に連れていかれるような目にあう。また、海外であれば、写真を撮っただけでその場でカメラを没収されるだろう。

子供の頃に海外にいた私は、イランとソ連の国境でマシンガンの銃口をこちらに向けるソ連兵の前で国境線を見たのを思いだす。今回は自分が軍艦の写真を撮るのにオドオドしてしまうのと感じるのと、日本は平和だなと改めて思う。

小さな民間クルーザーから巡洋艦を見る。もともと、巡洋艦のことをクルーザーという。普段、日本ではクルーザーとはファンボートよりお高いキャビン付きの船をさすが、本来はあれがクルーザーというものなのだと思った。

護衛艦には最新鋭型イージス艦まや型1番艦「まや」がいた。こんごう型イージス艦には博多港の一般公開で乗せてもらったことがあるが、それから2世代先の最新鋭艦艇である。性能はきっと格段に上がっているに違いない。

昔の軍艦は艦隊戦を想定して、ごつい主砲がたくさんついていたが、航空戦、ミサイル戦が主流の今は主砲は1門しかない。大砲よりもレーダー装備が目立つ。とはいえ、後ろ側にミサイルポッドが山ほどある。その辺は自衛隊の一般公開でしっかり見せてもらった。

米軍艦は巡洋艦の中に艦艇番号から見て、ミサイル駆逐艦が混じっていた。きっと、あれは世にもヤバいミサイルを搭載していることだろう。洗練されたスタイルは美しいともいえるが、腹の中には災禍を抱えているのだ。

護衛艦と軍艦の違いは、まずは色が違っており、米軍の軍艦はどす黒い。護衛艦よりも、カラーリング的には威嚇的である。

最初に沖に停泊している軍艦を見た時に、護衛艦かと思ったのだが、色合いに違和感があった。ただ、軍艦だと思ったのには別の感覚があったと思う。

その時にはわからなかったのだが、あとから写真を見てみると殺気とか邪気がまったく違うのだ。

護衛艦からは殺気や狂気は感じない。米軍の艦艇からは殺気と狂気、それに恐れの気も自衛艦とは比べようもないほど強くある。個人的には好きではない。

米軍の軍艦は人殺しをするための艦、実際に世界中で人殺しをしてきた連中の船である。その分、葛藤も邪気も背負っている。彼らは理由はともあれ人殺しに腹が括れた人たちだ。人を殺す訓練を受け、装備も最新鋭で、腕については凄腕の自衛隊も、たぶん根本的に軍隊とは違うのだと思う。

専守防衛を是とし、人を救うために武器を持つ人たちと、命令があれば好むと好まざるは別として歯車として大量殺人を実践してきた人たちの違いである。

この美しい艦船たちが、その実力を発揮せずに済み、無駄に終わる未来であればいいと望むばかりである。