ポップな心霊論 2

シークエンスはやともさんのコラムをネットで一通り読んでみた。実に面白い。書籍も出ているようなので機会があれば読んでみたい。

彼は霊能力を売りにしているお笑い芸人である。幽霊が普通の人と見分けがつかないぐらいに見えるということだ。さらに幽霊と話ができないらしい。

年初頃にわたしが書いた『幽霊と人の見分けがつかない人』という投稿は忘年会で会った霊能者の人が霊と人の見分けがつかないという話題であった。彼女の場合も霊と人と見分けはつかないが、話はできるということだった。

他にも霊能者には会ったことがあるが、見分けがつく人、見分けがつかない人、常に見えちゃう人、能力のコントロールができる人、霊と話ができる人、話ができない人など様々なケースがあった。一言に霊能者と言っても、その能力にはかなり違いがあり、バリエーション豊かだ。

中には視えるが、除霊、浄霊などの扱いができない人もいたりする。視えるからと言って、それをなんとかできるとは限らない。

シークエンスはやともさんの場合は、むしろオールマイティな霊能者とはいいがたいが、その辺が味となっている。もちろん、キャラ作りでそうだったとしても実際にできることはもっと多いのかもしれない。

友人・知人に霊能者がいたり、そのような人と出会うことがあるが、比較してみると言っていることは微妙に違うことがある。それはそれぞれの人によって、能力にも違いがあり、見え方、とらえ方に差があるからと考えている。

それは気の見立てについても、私と別の気功師では違っているケースがあるだろうが、それも同じスペックではないのだから、当然である。また、私一人についてでも、例えば通常時と憑依された状態では気の感覚が逆転してしまうことを確認している。陽の気が陰の気に感じ、陰の気を陽の気に感じてしまう。

邪気や幽霊に憑依されている時には、本来は寄ってはダメなものに魅かれてしまうのはそういう訳だと個人的には理解をしている。

自分ひとりでも状況が違うと違って見えるわけだから、スペックが違う人の中で誰が正しいとか、誰が間違っているのかではなく、視点によって違って見えるのだ。

普段、隣の人と同じものを見ているという幻想を我々は抱いているが、実は隣にいる人が自分と同じ風景を見ているとは限らない。最近は、それがこの世というものではないかと私は思うのだ。