NHKの日本のおなまえっ!で日本での最大派閥である佐藤さんと鈴木さんの頂上対決についてやっていた。これはこれで楽しんで観た。
佐藤と鈴木の名前の家の人数が多いのは事実としてあり、それが何か理由があってそうなったと思いたいのはわかる。番組の理論はある一面をとらえてるだろうし、たくさんの人がいるのだからすべての佐藤家、鈴木家に当てはまる訳でもないだろう。
家名が残る家、残らない家はあると思う。一番わかりやすいのは、女の子しか生まれない家や子供自体が生まれない家名は続かない。その理由もいろいろとあるだろう。
昔から、そこにも当事者にはあらがえない運命のような法則があるような気がしている。滅ぶべき家、続いていくべき家はなんとなくある。子供の頃から周囲を見てなんとなくそう思っていた。どうしても、続かないことになった家名を持つ人はそれで無念さをもつことがある。ご先祖様に申し訳ないとか、親に会わせる顔がないとか。
私も長男なので、もしそういう立場になったら、たぶんそう思うので気持ちは痛いほどわかる。良くも悪くもそういう文化の中で生きてきた。
ただ、片方では波動的にも続く家、続かない家があるということは本人が気に病んでも仕方がないと思う。寿命が来た家名は消えていくが、当事者が悪い訳ではない。運命だ。
たとえば、家系図とか、戸籍を調べて何代か前に養子をとって家名をつなげている場合は珍しくはない。娘に婿を取り名を継ぐケースでなく、他家から子供を迎えるケースだ。その場合、すでに血縁的にはその家は滅んでいる。そういう場合は、その後にも消滅の機会にさらされる気はする。もっとも、養子を迎えた元の家の生命力にもよるとは思うが。
本人たちの振舞いだけでなく、先祖の問題なども絡む。タタリ的なモノを抱えているのを感じる時もある。もちろん、先祖供養をすると子供が生まれたみたいな話はなくもないので、試してみるのは手だが、そればっかりでもない。
佐藤さんと鈴木さんは、生まれるのは男子が多く、嫁をとっては増えていった家系が多かったのだろう。遺伝子にとって子孫繁栄が一番の望みであるので、生物学的には大変優秀な家系であるといえる。
お陰様で私と弟の家では男の子が多いので、たぶん家名は継がれていくだろう。父の兄弟は7人兄弟のうち、男子は3名。弟は他家に婿入りし別性を名乗った。父と長兄のみが名を継いだ。
もし、これが7人兄弟全員が男で、それぞれが男の子を生むようなことがあると、氏族は増えていく。佐藤さんや鈴木さんはそういうのが多かったのではないかなどと考える。
私の父はとても家族の和を大切にする潔い人物だった。祖母が亡くなる際に、祖母は長男と次男に別々に土地家屋を譲るつもりだった。父の兄、私の叔父は祖母が亡くなった際に、自宅の前の大病院から土地の買収を持ち掛けられていた。それで、父にもう1軒の家屋の相続を放棄するように迫った。
叔父は悪い人ではないが嫁に弱い人であり、叔母の差し金だったと思う。叔母は長男家の嫁ではあるが、自分の親族とばかり付き合い、嫁ぎ先の家を守りはしない自分勝手な人物だった。元々、叔父との結婚する前に祖母から反対をされたので、ビルに登って、自殺騒ぎまで起こした人物である。
祖母は叔母とは折り合いがずっと悪く、よく我が家に避難をしてきていた。祖母の最後はアルツハイマーでの自殺だった。叔母との確執がその原因だったと私は勝手に思っている。
私が気功の師匠から初めて教わったのは祖母が迷ってしまった霊の邪気だった。それを感じて以降、私はずっと気功師である。自殺をして迷った祖母の霊が頼ったのはうちの両親だった。そのせいで、両親とも脳の病気でなくなったと師匠からは言われた。私もそれはまんざらでもないと思っている。
生前、叔母との確執で苦しんだ祖母がシェルターとして身を寄せていた先の父母が早くにあの世に引かれてしまったのは、非常に皮肉である。師匠はもっと早くに浄霊ができていれば、ご両親は無くならずに済んだかもと言っていた。
残念ながら、運命とは所々に変えられない所がある。人の生き死には一介の気功師にはよほどご縁がないと左右できないと個人的には思っている。タイミングが合わねばご縁はない。現実化したことは常に正しいのだ。
父は遺産相続の際に、7人兄弟の一族がこれ以上不和になることを避けるため、快く土地家屋の権利を兄に譲った。田舎ではあるが、街の中の立地の良い場所である。なかなかできることではないし、父の偉い所である。叔父は2軒分の土地を大病院に譲ることで、大金を手に入れ、代替に郊外に大きな家を建てた。
父の行為を経済面には愚かかもしれないが、子孫繁栄にはその方が良かったと思っている。
父の話を聞いて育った私と弟は、両親がなくなった時にも遺産相続で揉めることはなかった。周囲によくあるが遺産相続で一族が割れるケースは少なくない。一族同士で憎み合うのは、自分のわら人形に釘を打っているようなものである。相手は自分の遺伝子を組み込んだ巨大わら人形だ。それで家系が繁栄するわけがないのだ。そんな家は長くは続かない。
父の子孫は一族和合のために、土地を譲ったという話が哲学として伝えられる。逆に叔父の家はどうだろうかと私は思う。兄弟間でもごねた方が得をするという逸話が伝えられる。伝わらなくとも遺伝子にはその記憶は残る。
家名の存続と家に伝えられる文化や哲学には関係があると個人的には思っている。特にエビデンスはないのだが。(笑)
おとぎ話の中でも欲をかいたじいさんと欲をもたないじいさんでは、最終的に得るものには差が出る。それは実はまんざら嘘ではないのではないかと思うのだ。
ちなみに、普通に考えて悪霊化した祖母がどうせ祟るなら叔母に祟ればよいと思ったことがある。しかし、最近思うのだ。良心や罪悪感をもたない人は生霊はつかないが、幽霊もつかないのかもしれないと。
そういう意味では罪悪感のない人がある意味でうらやましい。(笑)