映画「野火」(2015年)を見た。アマゾンプライムでプライムから近日外れるということで。野火が壮絶な戦争映画であることは知っていたので、なかなか見るのをためらっていた作品だ。
太平洋戦争末期のレイテ島を舞台にして、日本兵の悲惨な様を描いている。思った通りというか、思った以上に壮絶な内容だった。ガンダム作品の中でサンダーボルトは結構悲惨だったと思ったが、実写でそれ以上に凄惨な内容を観るのは正直きつい。見て面白いという代物では全くない。
戦争を気軽に描いている映画やアニメは少なくないが、たぶんこれがありのままに近い戦争の悲惨さを描いているのだと改めて思う。
あとは、人間の業の深さが際立つ。
監督の塚本晋也の作品は「斬、」を見ても、人間の奥底にある闇が顕在化してくる様を描くのが得意であろうと思う。人間なんて、極限状態で一皮むけば獣より恐ろしい化け物になる。
米軍や現地人と殺し合う、食料を奪い合う、仲間同士で殺し合う、あげくはお互いに食い合う。米軍の重機関銃で虐殺されるシーンでは、脚や腕、半身が消し飛び、生きたまま内臓は飛び出し、腐った死体に積み重なる。顔の半分が壊れてもまだ死ねない人、体が腐ってもまだ生きている人。人は時代劇ほど簡単には死なない。食人のシーンなど、この世の生き地獄である。
私は人間の悪の正体とは生存本能であろうと思う。生物は生存本能がなければさっさと絶滅する。なくてはならないが、それが人の業の大元なのだ。自分だけは生き延びたいという根本原理としてのプログラム(命令)からは逃れられない。
映画だから、創作だからと、他人事で自分とは関係ない、そんなひどいことが起きるわけないと思える人は幸せである。私はそうは思えない。人という、大変に不安定で運用が危険な乗り物に乗っているという自覚はある。
人などエヴァンゲリオンと同じで、暴走を始めると何を引き起こすかわからない、究極の危険兵器である。
良心に縛られ、いわゆる真っ当な社会の枠にいることで、暴走せずに済むのは実は大変幸せなことである。たぶん、多くの人が極限状態に追い込まれるとあの見るも無残なこの世の地獄を作り出すことに加担するのが人間であろう。一歩間違えば、誰の身にも起きうることだ。
人にできるのは自分たちをそのような極限環境に置かない努力をすることだ。極限状態に置いた場合に暴走することを食い止めるのは至難の業だ。少なくとも人が引き起こす厄災である戦争を安直に引き起こすことは厳につつしむべきだと思い知らされる。
先進国を中心に戦争を引き起こすことで、国家経済のカンフル剤にしてきた人々がいると言われる。良心など元々持ち合わせていない人が種をまく。それに確信犯としてついていく奴がいる。そのような人を抑え込むのは簡単ではないが、どんな戦争であれ引き起こすのは避けたいものだ。