相手の本当の気持ちはわからない

新番組「恋する母たち」というのを少し見た。普段、あまりドロドロ系の不倫ドラマは見ないのだが、テレビがついていて部分的に見た時の印象をひとつ。

お約束で旦那は外で浮気をしており、携帯のメッセージを盗み見て、悔しさに悶える仲里依紗さん。浮気をしたい旦那の気持ちもわかるし、それに悔しがる女性の気持ちもわからなくはない。

きっと、これから「私も」とドロドロ噺が始まるのだろう。

原作マンガは柴門ふみで、女性セブンに掲載で、レーベルはビッグコミックなんだと妙な所に関心をする。

人がそれぞれ、感じ方も考え方も感覚もまったく違うことを考えると、真実と呼ばれるものを暴くことに意味があるのだろうかと思う。温かい家庭があり、旦那は自分が彼を大切にしているのと同様に自分を思ってくれているというのは、実は彼女本人の幻想に過ぎない。彼女の自我という記憶のデータベースが作り出したストーリーである。

実は旦那はそのパーツにすぎない。

相手は相手で実は何をどう感じているのかわからない。大恋愛の末に愛し合って結婚したと自分は思っていたが、相手はそうでもなく、打算の結果であるというケースもある。

自分が作り出したストーリーに騙され続けている方がもしかすると幸せではないだろうか。

知人の話だが、ご亭主本人は大恋愛の末に結婚をしたと思っており、妻も同じように思ってくれていると信じていた。夫婦喧嘩の折に言われた言葉が、「私はそんなに好きじゃなかった、あんまりしつこいから・・・」もちろん、奥さんの方もずるいのである。自分で決めたことであるのに、都合が悪くなると人のせいにしている。

そういう思いの格差だけでなく、極端な例では、結婚をしてみたが、実は相手がLGBTや性同一障害だったとか、アセクシャル(性自体に興味がない)、サイコパスだった、感情を理解しない発達障害だったということは、それなりにある。

そんな極端な例を出さなくても、想いのレベルの差は常にある。自分は大好きであったとしても、相手はそこまでではなかったというだけで、結構傷つく。

本人の世界は本人の認識でしかできてはいないので、実は他人の認識は関係がない。だから、自分が大恋愛の末に相手を好きになったというならば、相手がそこからズレていたとしても、それはそれでいいと考えると楽である。

人間そう思えればいいのだけど、どうしても相手がどう思っているかが気になる。でも、相手が本当の意味でどう思い、どう感じているかなどどれだけ言葉を交わしても伝わるものではない。言葉からある程度推測ができるのみだ。

どうも人間関係というのは難しい。結局はお互いの持っているカードは一生見ることができないポーカーをしているようなものである。

不倫ドラマの断片を見て、思った感想である。