宗教の功罪

日本の帰化をしたパキスタン出身のムスリム(イスラム教信者)が日本では土葬で埋葬できる墓がないということで困っているというニュースがやっていた。

たしかに日本では長いこと土葬はせず、火葬にしている。土葬ができる墓が少ないのはわかる気がする。

イスラムでは火葬は許されていない。

本人が火葬を選ぶか、土葬を選ぶかの是非についてはどうあっても良いと思う。世の中には鳥葬や海に流す方法もある。

この話を聞いて思うのは、宗教というのは強力な思い込みであり、洗脳であると思うのだ。

もし、イスラムで語られるように火葬をすることがこの世の禁則であるなら、もしくはあの世での禁則であるのなら、日本人は大きな問題を抱えることになるが、今の所なんの問題も感じない。天国に行けない訳でもないだろう。

それは思い込みでしかない。

もちろん、土葬ができるならすればいいが、それが困難な環境で神への罪悪感を感じるのであれば、幸せになるためにあるはずの宗教が人を不幸にする。

宗教が人の心を安息に導くような効果があるのは功績であるのだが、その反面で余分な思い込みを与えるのが宗教の罪として存在をする。

人が幸せになるためには、いろいろと抱えている思い込み、先入観、トラウマを手放していくことが効果を持つのだが、どこかで宗教、民族、国家、慣習による思い込みも手放していく必要があるのかもしれない。

などと思った次第である。