広瀬香美のCDから「幸せをつかみたい〜」という絶叫が聴こえる。(笑)まだ、バブルの余韻があった時代の曲だろう。
もう、5年以上前になるが、私のインスピレーションが語ることに「幸せとはつかむものでも、手に入れるものでもない、感じるものだ」というのがあった。
幸せとは条件でも、状態でもなく、主観的な感じ方であるので、幸せになるのは一瞬でなれるものだとインスピレーションは主張をした。
「私は今幸せだ」と感じることで瞬間的に幸せにはなれるものであり、物理的な何かは一切必要ではない。
そんな頓知じみたことが屁理屈のように聞こえた私は今から考えれば如何に社会からの洗脳にどっぷりハマっていたかと思う。
人を消費マシンに洗脳するのが得意な”テレビ様”は語る。これを得れば幸せになれる、あれをゲットすることで幸せになれる。この人のようにしないとあなたは幸せにはなれない、だから買え、買え、金を稼いで吐き出せと。
お上からの御達しと横並びが大好きな日本人にとって、戦後は”テレビ様”が言うことが”真実”となり、それに合わせられないことが苦痛となって行った。
だから、幸せはつかむものだと信じさせられていた。
もちろん、テレビの中にも大切な事を伝えたものもある。たとえば、世界名作劇場アニメ赤毛のアンでは「良かった探し」を伝えた。
1日の良かった事を探し、自分が幸せと感じられる事を寝る前に再確認する。今風に言えば、ほめ日記である。
今考えるとこれこそ幸せになる方法だったが、中学生?の私には全く響かなかった。
ベンツを乗り回し、億ションを手に入れ、出世する事が幸せだと信じ込んでいった。浜田省吾の「MONEY」の世界だ。社会からの多くの情報により、ミスリードされてしまった。
ちなみに、広瀬香美さんは売れっ子当時は自分が認めて欲しい作曲でなく、歌唱力と歌詞が褒められることに苦痛で、幸せではなかったとしくじり先生出演時に語っている。
今は彼女が歌う事が好きである事を自覚して、YouTubeでも好き勝手にいろんな歌を広瀬節で歌って幸せそうだ。あれこそ、好きな事をする幸せを体現している。
幸せとはつかむものでも、得るものでもなく、感じるものだ。