女王蜂

youtubeを見ていた時に、女王蜂というバンドのアヴちゃんというボーカルを見つけた。

見た目は黒人の女性に見えた。日本語は堪能。一言目のあいさつを聞いて女性なのかと思ったら、歌は男性の声であった。

何曲か聴いてみたがその歌詞はすごい。察するに、本人のいろいろな生きづらさから出た言葉がその重みを与えているのだろう。

中には男性役と女性役の二役を歌う曲もある。

表現や芸術というのは最終的には自分というものをさらけ出すことになる。人はそれぞれに全く違ったものである。

人はすべてを持つが、その中から顕現するものは人それぞれによって全く違う。それぞれが独自であり、唯一の存在である。それを表現するのが、芸術なのであろう。

性別不詳とされているアヴちゃんは、見た目でも、歌を聴いても、彼・彼女が何者なのかはわからない。見た目というものが実はその本質を全くもって表せないことを感じさせられる。

それは良いことでも、悪いことでもなく、ただそうあるだけなのだ。

彼・彼女の唄う歌からは、私には共感しきれないほどの多くの感情が流れ込んでくる。自分のあるがままはこうだみたいな。

好みはあるだろうが、すごい表現者である。