言葉はむずかしい

テレビを見ていた時である。「諦めればなんでもできる」という出口治明氏の番組の次の番組では、「あきらめなければなんでもできる」という全く反対のメッセージが紹介をされた。

言葉とはとても難しく、この2つの言葉はどちらも正しいが、表面的にはまったく相反する。

「諦めればなんでもできる」は目先のことに一喜一憂せず、こだわりを捨てていき、目の前にあることを懸命に行うことでなんでもできるということになる。

「あきらめなければなんでもできる」は明るい思いを持ち続け、目先のことにより挫折してしまないようにすることで、なんでもできるということになる。

これらはどちらも的を得ているが、何を諦め、何を諦めないのかの捉え方ではまったく違う意味でとらえられる。

言葉にはこのような難しさはあり、子供の頃から様々な言葉を聞いてきたが、その本当に意味する所をやっと最近わかるようになったと思うことがある。

「こだわり」という言葉一つをとっても、執着、思い入れ、信念、一途さ、丹精をこめたなど様々な意味をもち、それの中のどこをイメージするかによって全く捉え方が違ってくる。

そのため、「こだわりは持つべき」とか「こだわりは捨てるべき」などと言われるが、その意味はそれぞれの捉え方で別のことを指している。

ひとつのテレビチャンネルで、さっきの番組で言っていたことと真逆なことを主張しているのを見て、面白いなと思ったのだが、そうなのだ、若い頃からこういうことに翻弄されてきたのだとなどと思った。