気配りの価値のわかる人

クライアントとお仕事をした時のこと。とても細かい事で感謝されて驚いた。

数人で昼食に出かける際に急用が入ってクライアントが一緒に出られなった。それで吉野家の弁当を頼まれた。

買っていった吉野家のバリエーションが「普段自分が頼む内容だった、良く見てますね」と喜ばれた。大した事ではないが、彼ならこれを頼むだろうというのがわかり、それを気を配ったと受け止めてもらった。私も喜んでもらえて嬉しかった。

人は自分に気を払ってもらっているのは嬉しいものだが、それで感謝する人は少ない。そんなのはして当然と考える人も少なくない。

彼は他人や部下を大切にするタイプであり、とても運がよい。

ビジネスシーンでよく見かける人で、他人や部下を支配しようとする人がいる。自分が気配りされるのは当然で、自分が考える以上のことをすると怒ったり、潰しにかかろうとする人がいる。「オレの言ったことだけしろ、余分な事はするな」などという。

そんな人に人はついていかないので、運が悪い。運は人が運んでくるものだ。それに自分の能力以上のことは達成できない。

経営者として広がっていく人は本人より優秀な人が彼のために働こうと思う人である。人に任せることができる人は大きくなっていく。増してや、本人より優秀な人を排除する人は運がない。

気配りの価値がわかる人に対しては気配りし甲斐があるが、わからない人にはその甲斐がない。

一般的なサービスと高級なサービスの差は最終的には気配りの差になるのだが、気配りの価値がわからない人には高級なサービスの価値は理解できないし、それにお金を払うなど無駄だと考える。

人には分というものがある。これはお金持ちだからとか、身分の問題ではない。

気配りのできる人はその価値の理解ができる人を相手にした方が良いのだろう。そんなことを思わされた。