ブラック・ライブズ・マター

朝のニュースで今年のオリンピックでは差別反対への意思表現が多かったらしい。

元々、政治や思想に関する表現を厳しく取り締まっていた国際オリンピック協会がブラック・ライブズ・マター運動を契機に規制を緩和した。

選手たちは様々な所で、人種差別、マイノリティ差別に対する反抗の表現したと解説した。片膝をついたり、拳を振り上げる動作にそんな意味があるなど、知ってないとわからない。

今の時代は日本でも急激に多様性への理解が進んでおり、むしろ隔世の感があるほどだ。皆が本音を出せる社会になるのは良いことだと思う。

気の感覚があったり、霊能者だったりも明らかにマイノリティであり、それがこれほど安易にカミングアウトできる社会が来るなど30年前には考えられなかった。

ネットでブラック・ライブズ・マターに関する記事を読むと、とはいえ様々な問題がある。日本のテレビで顔を黒く塗ったコントや表現があることを非難する人がいた。やはり、外国人の黒人の方だ。言いたいことはわかるが実際のところはどうだろうかとも思う。

ダウンタウンの浜ちゃんのコントについて書いてあった。その動画は見てないが、彼が基本辛口コントをすることから、誰かをいじってそれを見て嫌な気分になると言う指摘はごもっともかもしれない。

結婚式の出し物でシャネルズ(ラッツ&スターズ)のマネをして歌うことについても非難している。フェイスブラックはアメリカでは人種差別であり、日本でも許されないと指摘する。

なるほどそう思うのかとは思うが、そこには現実的な難しさを感じる。シャネルズは黒人をディスってやっているわけではなく、むしろリスペクトして顔を塗っている。それを自国では人種差別だからNGと言われてもこちらも困惑する。

黒人がそれを見て、嫌な気持ちになることは理解はできなくはない。しかし、ペリー提督が日本で初めてやったミンストレルショーを引き合いに出してあれも人種差別だと言われても、そんな議論は自国でやってくれと言いたくなる。

そもそも、日本の結婚式の出し物を黒人が出席することを前提には考えないだろう。

日本では親指と人差し指で円を作ってみせるハンドサインはお金を意味する。それをイランでやるとお尻の穴を意味して最大級の侮蔑のサインとなる。郷にいれば郷に従って、イランではお金のハンドサインはしない方が無難だ。

また、イランではNOを言う時に、舌打ちしながら、「ナッ」と言い、アゴを上に突き上げる。日本で店員が客にこんなことをしたら、間違いなく喧嘩になる。日本でそれはすべきではない。他所様の国に来たら、郷には従うのが筋だ。

文化の違いのある国で、自国の論理を言われても困る。ましてや、元々は黒人や白人のいない国である。日本に来たのはご本人の勝手な都合である。自国のルールをグローバルスタンダードと勝手に設定して押し付けるのはまさにアメリカ(西洋人)のお家芸であり、他文化への迫害と言っても良い。

とはいえ、嫌な思いをする人が減るようにしたほうが良いのは間違いないので、ナショナリズムをいきなり持ち出すのも得策ではない。

その匙加減は難しい。

外国人はともかく、ハーフの日本人も増える中で日本が嫌なら出ていけば良いという論法はもはや通用しない。

外国人に好き勝手を言われるよりは、我々日本人が考える必要がある。

最近の行き過ぎた「多様性に適応できない奴はダメだ」という風潮にも疲れる。反対はしないし、それを支持はするが、何事も急くのはいけない。

人間は正論のみには生きられない。どんなに良いことでも、偏りが過ぎると良くなく、何事も中庸が良い。

意見には個人差があります。