怖がりさん

その日は阿蘇山が噴火した。群馬のヤマダ電機では大量の武器が見つかったとか見つからないとかTwitterに載ってると言いに来てくれる人もいた。先日の東京の大地震は記憶に新しい。世の中、不安だらけである。

不安が強いので自分は繊細さんではないか?と言うのだが、HSPは定義が違う。感受性が高すぎて他人の気持ちがわかりすぎるのがHSPである。心配性のことではない。

いろんな情報を聞いて怖くなってしまうのは単に怖がりさんであるが、それは至って正常なことである。

そもそも人類は心配することで生き残ってきた。怖がりでない個体は子孫を残さず淘汰が進んだだろう。ほとんどの人はその怖がりで心配性の遺伝子を持っている。人類は常に周囲の敵に気を配りながら生きてきた。

問題は急激な索敵範囲の拡大にある。原始時代は自分の目の前の危険だけに気を配る。江戸時代なら村の範囲ぐらいか。隣村で何か起きても情報が届くには数日を要する。

ところが、ここ数十年は全国、もしくは世界中の危機情報がリアルタイムに入ってくる。テレビ時代は単にメディアのニュースだけだったが、SNSでは地球の反対側の人間の心配まで伝わる。

ホモサピエンスは何千年か前と今とそんなにスペックは変わらない。そして現代人の危機についての索敵範囲はグローバルになってしまっている。索敵範囲の向上はしても、その処理能力は目の前のことだけで手一杯だ。

その上、江戸時代の村なら1日に会う人は数人、多くて数十人。ところが現代は1日に会う人の数は膨大だ。それにもイチイチ反応していたら神経は持たない。

地球の反対側の事件や人の意見までフォローできるほど図太い人がどれほどいるのだろう。もちろん、それが気にならない人はフォローすれば良い。しかし、本当に怖がりな人は悩みの種しかもたらさないテレビやSNSは少し遠ざかった方がよいかもしれない。

よく、テレビなんて古いから見ない、インターネットだけで十分と言う人がいるが、SNSはよりきめ細かくストレスの種を運んでくるツールだ。メディアの意見だけでなく、大衆の意見も運ぶ。

怖がりさんにとってそれが何をもたらすかは自明の理である。

私も新聞ぐらい読め、ニュースを見ろ、世の中に情報で遅れる奴は負けだと洗脳されてきた。しかし、怖がりさんな私にとって、それこそがやっちゃダメなことだったかもしれない。

信じるか信じないかはあなた次第です。(笑)