結局最後は運が良い

仕事でかなり深刻なトラブルに巻き込まれた。あまり、詳しくも書けないが記憶では私自身のミスではないとは思う。ただ、それが証明できなかった。

もう始末書を書くしかないという絶体絶命なピンチに陥って、問題が解決したので、ことなきを得た。まるで安い2時間ドラマに出演しているようだ。そんなこと都合よく起きねーよと思うような事が実際に起きる。

大変運が強かった。可能性としては大事になってたやもしれない。

10代の頃から親にも、最終的には運が良い、最後には必ず帳尻が合うとよく言われていた。

たとえば、私の大学受験は東京理科と明治大学の工学部を滑っている。滑り止めが滑っては洒落にもならないが、命綱無しで名古屋大学の工学部を受けて合格した。正直浪人すると思っていた。あの時、物理が4問しかないうちで1問が2日ほど前にやった問題と一字一句違わなかった。それがなかったら、どうなってたかわからない。

今考えると私立に落ちるのは当然で各大学の対策を一切やっておらず、赤本すら買ってなかった。舐めるのも大概にすべきである。

就職の時もそれ以降も何が問題が起きて、最後は単なる幸運に助けられて帳尻は合う人生であった。

最近手がけるプロジェクトは大概何か問題が起きて、それが何故か解決していく流れになって、最後は予定通りになる。リーダーだったり、メンバーだったりする私が何か優秀なのではなく、ただ流れとしてそうなるだけだ。

こういうのは運が良いのではなく、悪運が強いというのだろう。私としてはそもそも波風立たずに物事が進んで欲しいのであるが、そうは問屋が卸さない。

この悪運の強さが私の人生をジェットコースター的にしており、良い時と悪い時の差が激し過ぎる。お陰でもしかすると人の2倍ぐらいの人生経験はあるかもしれない。いろんな立場を経験する事になる。恵まれたポジションも恵まれないポジションも経験したのでどちらの立場の気持ちもわかってしまう。

今回のことで私の帳尻合わせな悪運の強さを改めて実感した。結局最後は運が良いのだから、心配などせずに荒馬の背中に捕まってただ振り落とされないようにすれば良いのだ。

だが、その経過は正直辛すぎる。

周囲の方に恵まれてこそその幸運がやってきていることも感謝しないといけないと改めて思う。

私と同じように悪運が強い人もいるだろう。最後の運の強さを信じて、心配せずにいきましょう。それが出来れば世話はないのだが。(笑)