世の中に開運や金運を望む人は数多おり、それ自体はまったく悪いことではない。しかし、開運を望んでやったことが運気を上げるとはかぎらない。
例えば、実験でひと月の開運日と良い方位を無料で観て、その結果で何か小さな幸せが起きたら教えてくださいというのをやった。
しかし、2ヶ月もやると、それはほとんど宝くじを買う日にされてしまい、その結果当たった当たらないという話題になっていった。挙句宝くじが当たらないと文句を言う人まででる。
もともと、宝くじを当てるような大きなことでなく、ちょっとした良いことが起きるのを観察してくださいと言ったのにも関わらず。
それまでさほど欲のない運気の良い人が強欲と化していき、観れば当然運気は下がってしまった。
霊視や未来視をギャブルの当て物に使う試みも同じ結果を生む。そもそも、占いや霊視は未来を当てるものではない。
私も30年も前から波動をギャンブルに試したこともあるが、直前まで未来は変化して、全く当たらない。当たったとしても、それはたまたまである。
難しいのは幸運を望むことが悪いわけではないが、強欲さは運気を下げてしまう。強欲さは不足感同様に運気を下げるには十分な邪気をもつ。運気を上げるようにして開運法はしないとうまくはいかない。
身を捨てて浮かぶ瀬もあれというが、無欲であることの方が運気は上がる。
肉体を持ち、欲と生存本能を持つ人間は何かと難しい。
信じるか信じないかはあなた次第なお話である。