スピリチャルな人によく言われるのが「人生は楽しまないといけない」「今ここを楽しんで」というフレーズ。
私もイマココを楽しんだ方が良いことは知っている。散々、そんなインスピレーションはやってくる。そして、自分に対して楽しむことを許すワークはやってきた。
しかし、親の薫陶により、長いこと自分に厳しくすることを是とし、自分が楽しむことを規制してきた節がある私は「楽しむべき」と言われるのと結構な違和感とストレスを感じる。親の戦中、戦後からくる教育は根強い。
私は自分が何が楽しいか、何が好きかと言われて、すぐに答えるのは難しかった。最近でこそ、意識的に何が楽しいか、好きかを考えて答えを出している。
私の感覚では積極的に立ち向かえること、ついやってしまう事の中にそれがある。
なので、「人生を楽しんでください」と言われるとどうしたら良いかわからないが「人生に起こることを積極的にやってみましょう」と言われる方がわかりやすいことに気づいた。
そのことが楽しいかと言われるとよくわからないが、積極的にできているかはわかるからだ。
言葉と言うのは同じ単語を使っても、人それぞれによって意味合い、ニュアンス、感覚が微妙に違う。
だから、楽しむことが苦手な人に楽しんでと言うと途方にくれる。言葉を少し置き換えるとしっくり来るものだなどと、当たり前のことを感じた。
言葉は使い方によっては言霊として働いたり、呪術における勅令になって強い影響力を持つ。言葉の選択は大事なのだと改めて思う。
中村天風師が「絶対積極の境地」と言うものを提唱した。すべてのことを積極的に捉えられるということは、今どきの言葉にすると「すべてを楽しんでいる境地」というこのなのだろう。
中村天風師は明治から昭和の人である。その時代は「楽しみましょう」という言葉では響かなかったのだろう。という意味では私はつくづく古い人間なのである。