人間は飽きっぽい?

ラーメンは好きで、いろんなラーメン屋に食べに行ってみる。先日、2回目に行ったラーメン屋でのこと。自転車で15分ぐらいはかかるお店で、食べログでは3.6ぐらい。

1回目に行った時、すごく美味しかった。また、来たいと思った。ラーメンは丁寧に作られているし、味はよかった。私がまた来たいと思うことはそんなない。

2回目に行った時あまは、別の初めてのラーメン屋に行こうと思ったが、行列が長くて断念。そこから近くて、過去に美味しかったので、そのラーメン屋に行った。

ラーメンは多分美味くはあった。ただ、少し塩辛かった。1回目ほどの感動はない。初めての感動というものは目減りするものでもある。2回目で飽きてしまった。

このラーメンなら、近所のよく行くラーメン店でも良いななどと思う。歩いて行けるよく行く店も食べログでは3.5を超える。同じ中華そば系である。わざわざ、足を伸ばしてまではと思う訳だ。

人間というのは飽きるものだ。多くのラーメン屋で、私は1回目で飽きているケースも多い。美味しいとは思うが、次来なくても良いという奴。それは美味しいか、不味いかで言えば、やはり美味しいのだ。

店員の対応も気になったのかもしれない。入った時に4人席は空いていて、カウンターは空いてなかった。外で待ってと言われ、私はおとなしく外で待ってた。特にそれに怒りなどないつもりだった。別の人が空いたカウンターに座ろうとした時に、奥から詰めてと店員が言った。それも、効率としては仕方がないと思った。あまり、私は気にしなかったと思うのだが、それがラーメンの評価で嫌気を生んだ?人は結構デリケートなものだ。

遠くても通いたくなるというのは、よほどの特徴が必要で、そこに行かないと食べられないという限定感であろうか。しかし、そんなもの滅多にない。

この情報化社会という奴は、情報だけはすぐに世界中に広がり、全てを短期間にコモディティ化し、消費していく。だから、珍しいモノというヤツはどんどん減っていく。

不便な時代の方が、世の中に飽きないのではないか?それともこれは体験すると全てを織り込み済みにしていく人間の業なのか。

人間、飽きないともっと楽しかろうと思う。それとも飽きっぽいのは私だけ?

片方で飽きないラーメンもある。子供の頃から大学生までスガキヤのラーメンをよく食べた。名古屋に帰ると懐かしさもあって、食べに言ってしまう。食べログ3.6のラーメンの出来とは比べものにならないが、身に染み付いている。チープであっても、特別である。

私はまた目新しいラーメンを探すのか。それとも、近所の慣れたラーメン屋で満足するのか。私はそのバランスの中で生きているのだろう。

多分、慣れたものに軍配が上がるのだろうな。そんなことを考えてラーメン屋を後にした。

東京にはラーメン屋が多すぎて、そんなに何度も行けないのかも知れない。