サンカ 消えた日本の山の民

友人と話をしていたら、サンカという言葉を聞いた。サンカ、山家、山窩。彼らは近代まで日本に存在した定住しない山や野に住む裸族のような人たちのことであると私は知っていた。

そもそも、私がサンカという言葉を知ってる事自体もかなりな博学だと思うのだが日本の伝説の民族に近い。それぐらい珍しい。ただ、昭和の30年ぐらいでも確認され、写真も残っているので都市伝説ではない。私は20年ぐらい前だったか、WEBとかでなく雑誌か何かで読んだ。それ以降、この言葉を聞くことはなかった。

だから、人の口からサンカという言葉がでるのは新鮮だった。

所有の概念を持っておらず、裸族のような人々で、定住せず、ほとんど野宿で暮らしていた。明治時代までは多くいたらしいが、明治政府がサンカ潰しをして、町に住むようになり激減するが、戦後まではいたらしいが今は伝説化してる。

そこで、ネットで改めて調べてみると最近の縄文流行りもあり、いろんな情報が手に入る。サンカを調べてみるとアイヌに詳しい松浦武四郎が岐阜で出会ったことが初めて記録に残っている。狩を中心として、定住せず、忍者や山岳信仰の修験道、山伏もサンカであったようだ。また、サンカは芸能もやっていた。所有の概念を持たない所はアイヌと同様である。狩猟民族であるのも同じ。

弥生人に追われた縄文人の末裔という説があるが、それがしっくりくると私と思う。縄文人の傾向が強いのは沖縄、北海道(アイヌ)、九州、東北であるので、日本にいる民族としてはそこまで特殊ではない。

ただ、近代まで洞穴や簡易テントのようなもので野宿のような生活様式をしていたという点では不思議の存在である。古い縄文人の様式を保っているのだろう。文字は神代文字を使うという。ホツマツタエのヲシテ文字とか、龍体文字とかのあれである。

ここからは私の推測である。

サンカの人たちの特徴を見れば見るほど、よく知られている人々の特徴とよく似ていることに気づく。それは部落民、エタヒニンと呼ばれ差別を受けてきた人たちである。いわゆる同和問題だ。

部落の人たちはやはり肉の解体や動物の革をなめすのが得意で、山に住んだり、忍者、修験、芸能の人たちもそうであったという。江戸時代の人別帳には載らず、士農工商の下に位置付けられて差別されてきた。彼らが何故差別民になったのかよくわからなかったが、もし彼らが縄文人の末裔だとすれば納得がいく。

大和人(和人)とは2万年も平和が続いた縄文時代に大陸から攻め込んできた弥生人を中心とした民族である。神話でも天津神(大和族)が国津神(出雲族)に国譲りを要求するが、単なる戦争であろう。弥生人がそれまでいた縄文人を追いやって、交わって日本人が出来たと思われる。それが緩やかなものか、苛烈なものかはわからない。

もし、サンカが弥生人の同化政策に抵抗した人々であれば、2500年もの間ずっと迫害され続けてこられたということになる。その根深さにはぞっとする。和人への同化政策への問題で、同和問題。部落民をなぜ同和というのかピンと来なかったが、やっと腑に落ちた。

サンカは元服すると丹羽で忍者の訓練を受けるとか、サンカ資金が何兆円もあり今はスイス銀行にあるとか、フリーメーソンと対抗する秘密結社であるとか、超能力をもつオカルト集団だとか都市伝説もあるようだが、それはよくわからない。

大河ドラマ「どうする家康」では伊賀忍者が野生の人間のような描かれ方をしている。サンカの人たちがいたら、あんな感じなのだろうかなどと思う。