映画 かぐや姫の物語 ネタバレ

ジブリ映画のかぐや姫の物語のキャッチフレーズが「姫の犯した罪と罰」とあるが、これが何?という話題があったので、観てみた。

高畑勲監督の最後の作品となった。姫は翁の元に、竹から現れる。日本で最も古く有名なSFファンタジーである。絵本であれば、こんなに詳しくは描かれず、古典までは読まないので、かぐや姫とはこんな深い話だったんだーと改めて思わされた。

翁と媼の元で育てられる姫の周りでは不思議なことが起きる。老人のはずの媼は乳が出始めたり、竹から金や反物が現れる。成長は早く、特に性的なことを連想する出来事に遭うと急に大きくなる。性は生命力であろうが、かぐや姫は男性を魅了して夢中にさせてしまう能力が備わっている。幼馴染の捨丸と仲良く育つがやがては引き離される。

翁は姫を幸せにすることに執着をして、都で姫を高貴な姫にする事に心を砕くことになる。最初に姫に夢中になってしまった男である。やがて、成長したは姫は5人の貴公子から求愛を受け、帝からも宮廷に上がることを求められる。

都に行って、姫は特殊能力が男性を魅了するだけでなく、急に常人では出せないような力を出したり、速く駆けたり、消えてしまったり、地球では死ねないようにタイムリープしたりすることが描かれており、普通の地球人ではないことがほのめかされている。

帝からの求愛の後に事態は一変する。姫は月ばかりを見て、悲嘆に暮れている。翁と媼が問い詰めると月に帰らなければならないと告白をした。

月の世界は人が思い悩むことはない世界である。姫はそこから地上に降ろされた。姫は帝に抱きしめられたことで、こんな世界から帰りたいというメッセージを月に送ってしまった。それで迎えがやってくるが、それは止められない。月の羽衣を着ると地球での記憶はなくなってしまう。

姫は月で出会った草木虫獣が自由に生きる様を詠った歌を唄っては涙する女性になぜか惹かれた。女性は記憶はないがせつなさや寂しさをどこかに持っていた。松原に男性と子供が海を眺めて待っているワンカットがあるが、女性は羽衣伝説の天女ではないだろうか。思い出せない地上に置いてきた家族に涙する彼女を見て、かぐや姫は地球上の生に憧れてしまった。

月の世界は思い悩むことがない世界である。死や老いもないのだろう。その分、何のこだわりも思い入れもない。悟り切った人々がいる世界。それは迎えにきた月の王が仏のようだったことから、極楽浄土なのかもしれない。

かぐや姫の犯した罪と罰とはなんだろうか?喜びも苦しみもなく、ただ起伏のない平穏を過ごす至福の月の世界でなく、限られた命で起伏の激しい人生を生きたいと興味をもってしまったことが罪で、地球という苦しみの中で生きるのが罰であろうか。それとも、草木虫獣のように自由に生きたいと思い、地上に降りたのに、男を魅了するという天賦の力のおかげで添いたかった捨丸と一緒にいられないのも罰なのか。

月の王も安直である。地球の有限の命に憧れたら、地球に降ろし、帰りたいとメッセージを送ってきたかぐや姫をいきなり迎えにくる。月の者からすれば、そこは大した問題ではないのかもしれない。罪でも罰でもない。そもそも、何のこだわりも執着もない存在である。

地球に行きたいの?じゃあ、行けばー。

えっ、帰りたいの?やっぱりあんな所、しんどいよね、じゃあ、さっさと帰ってきたら?程度である。

罪や罰というのはこだわりのある人間の産物であり、罪や罰など月の王からするとないのではないか。かぐや姫は月で望んだ通りに悲しみや切なさを経験したのだ。実際、かぐや姫は捨丸との空を飛ぶような思いの一度きりの逢瀬を堪能する。

かぐや姫は特殊な能力をもつ月からきた存在であるが、実は地上にいる全ての人が同じではないか。地球牢獄説というものがあるが、実は生まれてくることが罰ではなく、ただ体験したかったから生まれてきた。喜びは苦しみとのグラデーションがないとわかりにくい。起伏のある体験をしたい者が来る世界がこの地球なのではないか。

かぐや姫のような派手な能力がないだけでもっと地味な能力を皆が持つ。かぐや姫は男性を魅了するという力がむしろ自然体で生きることの足枷となってしまった。どんな優れた力も諸刃の剣である。

この世では、お金持ちはお金持ちなりの不幸があり、才能があるものは才能あるが故の悩みがある。それも羽衣をまとって、記憶がなくなるまでの幻想であり、うたかたの夢である。それはかぐや姫だけの問題ではないかもしれない。