土地をお祓いしたり、祈願して何かの波動が変化をすることは経験的にある。例えば小さな祠があり、そこに参拝することでその周囲の波動が一変することがある。
しかし、腑に落ちないことがある。その祠は普段お世話をしている人たちが往々にしている。月参りを欠かさずにやっていたりするのだ。
それなのに、別の誰かが祈願した時に周辺の土地が変化するのはよくわからない。普段からお詣りする人たちの祈りで、効果がでているべきである。
だが、ある時なんかわかった気がした。変化を感知できる人が参るのとそうでない場合では違うのではなかろうか。参拝者全員が変化を感知できる訳ではない。
量子力学では二重スリット実験で観測者によって、結果が変わったりする。気功や超能力の実験でも施術者だけでなく、観測者側の影響も結果には大きく影響を及ぼす。
観測者の世界にとって、観測者の影響は絶大なのである。
あくまで仮説であるが、そう考えると普段から参拝者がいる祠に祈願しにいって、その時に効果が出てしまうケースについての説明とはなる。
きっと、変化を感知しない人から見ると何の変化もないのだろう。この世界は人それぞれに宇宙がある。その人がその世界を作るだしている。
次に問題なのは、私が感じるその世界の変化が他人に対してどれほどの影響があるのだろうか。経験的には幾分あるケースもあれば、全くないケースもある。どんな人には影響があって、どんな人には影響がないのかがわかると便利である。
たぶん、感覚が似ているというか、共有できる人の間ではその影響を共有できるが、感覚が遠い人との間では共有できないのではないだろうか。そんな気がする。
この話、響く人には響くだろうが、ほとんどの人には響かないのだろう。誰かに届くと良いのだけど。