アマプラで隣人Xを観た。惑星難民Xと呼ばれる宇宙人を社会の中に受け入れた世界の話。
アメリカ政府に追随して日本政府も受け入れをするが、大衆の不安をマスゴミが煽り、誰がXなのかを躍起になって探す週刊誌。主人公はその記者。
SFなのだが、 SF描写が極少に抑えられて、むしろ外国人差別を描いた社会派ドラマに近い。自分とは違う存在に恐怖を感じ、差別するのは人間の心理である。
主人公は最後にXから、人を傷つけると痛みを感じるお前もXだと言われて、自分がXだと公表する。こうなると、日本人の大半はXではなかろうかという話になる。
最後に3つのホクロがXの印のようにネタ明かしがされていくのだが、主人公はどうやらXではなく、意外な人がXだったりする。主人公がXではないかと疑っていた肝心の良子は最初ホクロがなく、ラストシーンでホクロが浮き上がる。
これは人を許す気持ちを持つとXになるということだろうか。そうなると、Xとは人に内在しており、人を許し、人の痛みがわかるようになるとXが発現する、いわば人類の上位種のようなものであることになる。この辺のロジックは映画では謎のまま。
ちなみに、最近は都市伝説では人類の発祥に宇宙的存在が関与しているという説が幅をきかせている。私は偶然に単細胞から猿をへて人類へと進化したというのは、どれだけの奇跡が重なるとこのような精緻なメカニズムの生命や人体ができるのかと若い頃から妙な違和感があった。むしろ、何かの意思によって作られた方がずっとしっくりくる。
仮に人類が宇宙人的な何かに作られたとしたら、後から宇宙人が人間社会に入ってきても、実は単なる多様性なのかもしれない。
ホクロのロジックの謎が無性に気になるので、原作小説を読みたいと思った。映画を観て、原作を読みたいと思わせるというのは、メディアミックスのあるべき姿でマーケティングとして秀逸である。
実に面白い作品だった。