昭和を生きる人、明治大正を生きる人

久しぶりに一緒に飲んだ仕事の同僚の話。彼はとても仕事はできる人だが、自分のストイックさを他の人にも求める人。

飲んだ席の話題は世間話と彼の仕事へのこだわりに加えて、他の同僚へのモラハラ。話を聞いていくと、彼は好きでストイックなわけではなく、我慢してやっているので、他人にも同じものを求める。そして、そうでないのが許せない。今の時代、完全にコンプラ違反だ。

私より1歳下でもろに昭和の戦争を知らない子供である。私自身も若い頃は今でいうモラハラ、パワハラが普通の世界に生きていた。働かざるものは死ねという奴だ。私は自分がメンタルを病んで、後日その辺の価値観は手放した。

彼はまだ昭和の残骸の中で生きている。人は自分で作った城壁の中から出られないことはよくある。

他の人で、女はこうあるべしと厳しい戦中生まれの両親にしつけられた世界から出られていない人もいた。たぶん、その親がさらにその親からしつけられた古い世界観をすりこまれた彼女はまるで大正か明治のような価値観を手放せないでいる。多分親たちは良かれと思ってそれをしたのだろう。自分に厳しすぎて、もっと楽に考えて良いのではと思うが、自分の作った城壁から出るか出ないかは本人が決めることだ。

何が良くて何が間違っているなどということはない。自分の好きな価値観の中にいて良いのだが、最初の人のような他人に強制して、モラハラになって迷惑をかけるのはよろしくはない。

人間もっと自分らしく、自分が楽なように生きて良いと思うのだが、これもまた価値観である。

同じ時を生きていても、いろんな時代の価値観の中でそれぞれの宇宙は形成される。仕方がなあことであるなあと遠い目をしてしまう。