私は何故生きているのだろう

私は何故生きているのだろうという湧き上がる思いが強い。今それほど苦境に立っている訳でもないのにだ。理由はわからない。

USPTを取り入れた独自のやり方でその記憶というか解離を探ってみると出てきたのは「飢饉で息子も嫁も死んだ、何故自分だけが生き残ってしまったのか」という思いである。以前にも同じようなシチュエーションの解離を統合したことがある。

もちろん、私は飢饉は経験してないし、妻子も無事である。前世ではなく、先祖の思いであると判定した。これはとても苦しい思いであり、それを感じ取って統合した。

私は何故生きているのだろうという思いは根強いのだが、こんなワークを繰り返して薄れていってくれると良い。

こんな記憶を抱えているので、私は一人になる追体験をしているのかもしれないと頭によぎった。今の家族は私が単身赴任しているので、離れてはいるが生きてはいてくれる。これはラッキーなのかもしれない。追体験の仕方によってはもっと酷いことになる可能性もありえると考えるとゾッとする。

USPT的な統合ワークで様々な解離を探して統合してきた。しかし、以前に比べると随分と生きやすくはなったが、まだまだ出てくる。人は多くの覚えてはいない記憶を抱えているようだ。