死んだ後に天国と地獄があるという。しかし、天国も地獄もこの世にある。そもそも、この世界こそが天国と地獄がないまぜになった世界である。
この世界では、ある集まりに行くとお互いのことを尊重し、思いやり、お互いにもてなし合うような人々というのがいる。
同じ人が別の集まりに行くとビジネスの話として、客からいくらの売り上げを上げるか、ぶんどるかに会話が終始している人もいる。さらには人を虐めたり、攻めたりし合うだけの集まりもある。
釈迦の説法と言われるが本当にそうか知らないが、ご馳走様が振る舞われるがそこには長い箸しかないという話がある。地獄の亡者はその箸で我先にと食べようとするが食べられない。天国では長い箸を使ってお互いの食べたいものを食べさせてご馳走様を楽しんでいる。みたいな。
これはあの世というよりも、この世でよく見られる風景ではないか。
人は同じような波動の者同士が集まるので、六道の地獄道、修羅道に生きるものは争いお互いを貶め合う。天道に生きるものはお互いを気遣い合う人が集まる。六道とは輪廻転生を天道、人間道、地獄道、修羅道、畜生道、餓鬼道を回るというものだ。
当然だが人というものは複数の周波数の波動を持っているので、この世では常に回る六道の輪を行ったり来たりしている。だから、さっき、修羅道で戦っていた人が、その後の集まりでは相手を気遣って優しくなっていたりする。
亡くなった後に天国やら地獄を選んで送られるという話があるが、この世では行ったり来たりする六道が亡くなる時の波動によって固定されるのではないかと思ったりする。それなら、死ぬ瞬間には、「ああ、よかった」という感謝の心地で死にたいものだ。自殺するような心地で死んでしまうと寒くてつめたいような所に固定化されてしまうようなイメージはわかりやすい。
自分がどちらの方が好ましいかを考えて、波動の低い集まりからは距離を置くことができると良いのだが、往々にして仕事では修羅道や畜生道にハマってしまう人もいる。
お客様のためのサービスをして、喜んでお代を払ってくださるお客様に恵まれて、感謝の交換とWIN-WINの人間関係があるというような仕事もあると思うが、そんなものばかりではない。所詮は金だ〜と叫ぶ人達を相手にせざるをえないことの方が多い。
私もどっぷりと地獄と修羅と畜生の世界を眺めていますね。
自分の波動を上げていくことで、気持ちの良い世界で生きていきたいものです。