ここが居場所

先日テレビで放送された映画「僕のワンダフルライフ」を見た。

犬が何度も転生をする映画であるが、輪廻の話は西洋の映画としては珍しい。この映画自体は楽しんで観ることができた。

この映画を見て思ったというか、湧いてきた思いは、「自分の魂がある所が居場所なのだ」ということだった。

私は子供の頃から、なぜか自分には居場所がないと思ってきた節がある。両親は厳しいことはあっても、特に虐待をされた訳ではないが、なぜか自分には居場所がないと思っていた。大人になってからは、さすらい人だと思っていた。

ある場所、もしくは所属に慣れたと思うと数年で次に飛ばされる。そして一人で別の場所に行くことになる。いつの間にか、それが運命だと思っていて、自分には落ち着ける居場所がないと思ってきた。一か所の安息の地に腰を落ち着けて、慣れた人たちとずっと一緒に居られるならどんなに良いだろうかと思った。

作品の中身とはあまり関係ないかもしれないが、何度も生まれ変わるとしたら、自分の容姿や才能とか、持ち物や居場所なんてものはあまり関係ないのではないかと思えた。魂が今いる所が自分の居場所であり、その時の体や心がその時の自分である。前回と比べたり、他人と比べても仕方がない。

長くそこにいて、誰かに許可されたり、皆に認めてもらって居場所ができるとなんとなく思っていた。でも、ただ今魂がある場所が居場所なのだろう。良いか悪いかは別としてここが居場所である。長くいられなくとも、変わっていくとしても、自分がいる場所が常に居場所なんだーとなぜか納得をした。

他の人からすれば、そんなの当たり前じゃないというかもしれないのだが、他人が当たり前と思うようなことで悩むことってあるのだと思う。