台風が来て思ったこと

数十年に一度の大型台風が東京直撃をしたという19号。夜が明けて、あちこちで被害が報告され、全国的にも被害は少なくなかった。被害にあわれた方々にはお見舞いを申し上げる。

首都圏に住んで長いが台風でこれほどの備えをするのを見たのは初めてだ。実際、首都圏に直撃の大型台風は過去少なかったようだ。自分も様々な品物が品薄になるのを横目に、なんとか水、食料、電池などを入手し、風呂に水をため、ガラスに目張りをし、台風対策をした。幸運にもそれがすべて取り越し苦労で済んだのは単に運がよかっただけである。

災害にならなくとも、人はいつなんどきに災難に見舞われるかはわからない。本来は、常に防災の備えはしておく必要があるのだと思う。ハザードマップを真面目に見たことはなく、住んでいる区だけでなく、あちこちのハザードマップを見てみた。自宅で終日缶詰であったこともあり、暇でもあった。東京全体を見れば、区によっても随分と事情が違う。比較的東側は水没リスクは高く、西側は低い。そんなことは普段は意識もしなかった。

ある程度の備えをして、あとは台風がやって来るのを待つしかない。いろいろと最悪の状況は想定されているが、実際来てみないと起きるかどうかがわからない。たまたま、川が決壊するエリア、土砂崩れが起きるエリアがある一方、雨風は強いが何も起きないエリアもある。最悪のシナリオは東京の半分ぐらいが水没することを想像したが、そんなことは起きなかった。それが最初からわかれば良いが、すべては結果論でしかない。ひどい状況を想定したからといって、最悪が起こるとは限らず、かといって高をくくっていい訳ではない。台風が通り過ぎるまでは、状況を注視して、何かあれば対応をすることになる。

台風だけでなく、実は普段の人生だって全く同じである。最悪を想定しては恐れ、それなりに備えをしてみるが、最悪は起きないことが多く、かといって起きない訳ではない。心配しすぎるとそれを引き寄せかねないが、心配をしてしまうのが人の常である。結局、できることは出たとこ勝負で起きたことに対応をするしかない。

長い間、最悪を心配して対策を事前に明確化する事の方が重要だと思ってきたが、最近は実は備えの詳細に行うことより、心配しないことの方が重要ではないかと思い至った。気の法則を考えれば、頭ではかなり昔からわかっていたが、心配性が身に沁みついた私にはなかなか腑に落ちなかったことである。

この台風では、自分はできることだけして、後は安心して過ごそうと思った。きっと、その方が運が良いからである。心配をすると心配した状態を引き寄せる。気を見る限りは共鳴の法則は強く働く。備えはし、逃げ出す準備も一応はして、あとは部屋で映画をみたり、電話をしたりして楽しく過ごすことにした。そのおかげかどうかはわからないが、何事もなく台風をやり過ごすことができた。

もちろん、運がよかっただけである。