問題意識も人それぞれ

人から頼まれた間違えそうな資料整理と格闘中に友人からLINEのメッセージが来た。森友問題で亡くなった方の妻が国に調査を求める署名ページを送って来て、自分は署名と寄付をしたという。そして、森友問題をどう思うかと聞いてきた。

私はそれどころではないので、生返事を返した。その返事がお気に召さなかったので、言い合いになった。私個人は亡くなった方の奥様には同情はするし、真実は明確にした方が良いとは思う。しかし、そもそも何が正しいかはわからないし、さほど興味を持ってもいない。

友人は自分の問題意識を是として、興味を持たない私を病気扱いする始末である。そこまで行くとどこか頭のネジがおかしいと思う。そこで一悶着あるわけだ。今はコロナウイルス問題で世の中の人たちが過剰に恐れに蝕まれている気がする。

森友問題はきっと問題なのだろうとは思う。しかし、世の中には他にも問題は山ほどあり、人それぞれに気になる問題は違う。例えば、コロナウイルス問題、ハンターウイルス問題、児童虐待、不況問題、災害復興、貧困問題、社会格差、国際問題。

一人の人が全ての問題をフォローできるわけもなく、気にすることは違う。人それぞれであるし、そうあって良い。自我は自分の問題意識に他者も共感すべきだと考えるのはわかるのだが、無頓着に他人に押し付けてこられても、相手としてはたまらない。ただ、実はこれと同じことが正論らしきものを振りかざして至る所で行われている。

なんというか、昔の学生運動を思い出す思いである。私はそれよりもかなり下の世代であるが。この世は実は自己満足の世界である。自分が良いと思うことをすればよいし、本人がする分には否定する気はない。しかし、こちらが共感するか否かは私の自由であるので、それをディスられても対応に困るわけだ。

この話を高校生の息子に話したら、なんと私が思うのと全く同じ事をいう。自我に完全に取り込まれている歳の行ったおじさんよりも、よほどしっかりしている。それはそれでまた不思議でもあるのだが。

人はいろんなことを教えてくれるものだ。実に興味深い。