鶴田真由さんのご先祖は新選組隊士の森常吉であったという。
戊辰戦争の後は咎人となり、子孫は森という姓を名乗れなかった。それでも毛利と名乗ったり、孫の名前に三木太郎とつけて、木が3つで森をあらわすなどして森という名前を何とか残そうとした。
一族というものは、先祖とのつながりを何かの形で残そうとするもなんだなと思う。
私の父は吉廣というが、吉は下の長い”つちよし”であることにこだわっていた。
父の死後に戸籍除票をとった際にわかったのだが、父の祖父は”つちよし”の久吉であった。つまり、先祖の名前をとって吉を伝えていた、そして”つちよし”であることにこだわっていた。たぶん、幼少時に父親に教え込まれたのだろう。
今使われる吉は、”さむらいよし”と言われるのだが、何か使い方に違いがあるのだろうか?
ファミリーヒストリーや日本人のお名前を見ていると姓名や家紋には意味が含まれていることがある。ただ、その意味が伝承されることは少ない。
私の姓名には旧字体があるのだが、亡き父に正しい文字を伝えるよう言い聞かされた。今の時代、フォントの関係で戸籍も新字体になってしまっているが、家紋と共に子供には正しい字を教えてはいる。
そうやって、先祖の情報が微妙につながっていくのだなと思う。
ちなみに、自分の名前のリーディングをすると新字と旧字ではエネルギーが違っている。だから、手書きで書く時には必ず旧字体で書くし、彫った印鑑は旧字体を使うようにしている。
そんな所でも運気は違ってくるのだと感じる。
仙道をしていると先祖供養などをすることもあり、先祖にはとても興味がある。
3代前までの戸籍でわかる範囲の先祖はわかるのだが、それ以前はわからない。古い先祖については子や孫が有名にでもなってもらって、NHKに調べてもらわないとわからないだろう。(笑)