大昔の事、気功の師匠から教わったこととして、食品の邪気がある。実習としてスーパーマーケットに行って、販売されている食品にことごとく強い邪気があるということを教わった。
食品となったモノたちは別に食べられたい訳ではない。動物や植物でも収穫されたことを良しとしていないのだろうか、ことごとく邪気があるというのは実際に確認してみるとそうだった。
「戴きます」という感謝の言葉は、お百姓さんや漁師さんへの感謝の言葉でも良いのだが、食べ物自体へ感謝のエネルギーを送って、浄化をするのに役立っている。
片や、イスラムではハラル食品というのがある。特定の形式でお祈りを捧げた食品を食べるようにイスラム教では教えられる。
お祈りによって、食べ物の邪気は消え、体からエネルギーを奪うことはなくなる。
私自身はそれが的外れではなく、むしろ合理的であると思う。それがハラル食の意味である。ただ、それほど大仰な儀式をせずとも、個人個人で「戴きます」「感謝します」と感謝のエネルギーを使って食品を浄化処理をすればいいだけであるのではあるのだが、オーバースペックであってもハラルでも全然かまわない。
今では、このことをつい忘れがちで「ありがとう」を捧げずに食べ物をたべてしまうことはあるが(笑)、当然のこと浄化をして身に入れた方がいい。