私は霊能者ではなく、気功師である。気を感じたり扱ったりはできても、不思議なものを視る能力はない。
ただ、信頼できる、私の感じるものと世界観が一致する霊能者の友人から、色々と教えてもらった経験があり、それが今でも役に立っている。
私に手に負えない場合、友人に対処方法を聞いてうまく出来た時にお礼を言うと彼がよく言う言葉に
「相談をしてきた人、アドバイスを実行をした人が偉いのであって、私はたいして何もしていません」と言う。
私からすれば、人の分からない事を判断し、対処の道筋を作れる人がスゴイと思ったのだが、彼はよくそんなことを言った。
彼にとっては、そんなアドバイスをすることにはたいした苦労はないのだろうが、謙遜のし過ぎであると思ったものだ。
しかし、最近は彼が何故そう言っていたのかが、わかるような気がする。
目に見える事、目に見えない事に関わらず、例え私が解決策を持っているような事であったとしても、相談をしてきて、アドバイスを聞き入れて実行しないと解決はしない。
例えば、この病気にはあそこの先生が良いですよと言うのようなことですら、それを素直に聞き入れて行く人と行かない人はいる。行動によって結果は違うのだろうが、多分結果はあらかじめ決まっているのだとも思う。ご縁と運がないと良い結果にはならないのだ。
やるまではそれが答えかどうかは現実化はしない。結果的に功を奏するのはそれを本人が信じて実行しないと何も起きない。
友人は人助けを色々としてきたのだろうが、彼の言う事を聞き入れず、助けられなかった人もまた沢山見てきたという事なのだろう。
人が何を信じるかは自由である、どの道を行くかも自由なのだ。そこに他人が勝手に古文でいう”あわれさ”を感じるのは押し付けがましい。
しかし、共感力が余分な私はそう感じてしまう。
何かを教えてくれる人がいたとしても、実際に実行したその本人が偉いのだ。その通りである。