会社に新しく来た女の子と話していた時、彼女の名前のことを聞いた。
「み」のつく名前だが、女の子の名前ではよく「美」が入る所に別の漢字が入る。珍しいので謂れを聞くとご両親の名前を1字ずつ取ったという。
「美」だと気が重いからちょうど良いと言う。特別に美形ではないにせよ、とりたてて気にするような事はないのだが、モデルのように細くないとダイエットをしたがるのと同じである。
その話を聞いて、夢枕獏の陰陽師にあった「名前は呪(しゅ)である」という言葉を思い出した。呪とは呪い(のろい)という意味でなく、言霊によるしばりである。
名は体を顕すというが、体が名によって縛られる。名前には意味があり、体を持つ身ならその名前の様になろうとしてしまう。そのようなしばり、カルマを持ってしまう。
「美」という文字を持つと美しくなければならないと思ってしまう。それは気持ちの上で負担が大きい。
私の名前を一言で表すと、一見は立派な人になれという意味になる。名の持つ意味に負担を感じたこともある。名前負けしていると思っていた。両親が亡くなった後に叔父から聞いた話だが、息子が生まれだ時に年の離れた弟の名前から、漢字は違うが音をとって名付けたと言っていた。
名が持つ意味ではなく、可愛がっていた弟と韻を似せた名前をつけただけ。聞いて少し拍子抜けしたが、それが父の愛情表現だったのだろう。
私の息子たちには「輝」という字をつけた。常に光のエネルギーがともにあります様に、大光明が味方してくれます様に、という思いをこめた。スターウォーズ流に言えば、「フォースと共にあらんことを」そのままの意味である。本人が輝くようにという意味ではない。
しかし、本人たちは自分が輝かないといけないと思っていた時期があったやに思う。
気功的には自分の地の気を発してはいけない、気を放つ時はどこからかのリソースからエネルギーを持ってくる必要があるので、決して頑張って輝く様な事はするものではない。頑張りすぎは戒めるべきことだ。
日本語の名は音だけでなく、漢字に意味があるので、言霊が強く「呪」そのものだと言える。
名前を決めるのは簡単なことではない。名前は呪であり、本人を良くも悪くも縛ってしまう。