昨日、愛の正体について書いたので、今日は悪の正体について私の理解を書く。
あくまで、私の理解であるが、悪の正体は生存本能・防衛本能だと考える。
「私だけが生き延びたい」「私と私の分身である子孫のみが生き延びれば良い」「他人なんてどうなっても良い」という思いは、生存本能のなせる技だと思う。
悪とはある意味、自分を大切にする心であるので、悪を徹底的に排除して、阻害しようとすると今度は自分を後回しにし過ぎてしまう。
そもそも、生存本能がなけれは、人類のような弱い種族が生き残ることはなかったはずなので、生存本能は絶対的に必要なものなのだ。
そういう意味では、悪はある程度必要なものなのだ。
社会においては、自分のみを優先して他人に迷惑かける人は悪として裁く必要が出てくる。しかし、悪(生存本能・防衛本能)を憎みすぎてはよくないのだ。
適当に他人を踏み躙らない程度の悪はひつようなのだ。そこにはバランス感覚が中庸であることが求められると考えている。
私自身は悪とは徹底的に良くないものであると感じていた。それは自己を一番後回しにして、自分に我慢を強いることにつながったと思う。
物事はほどほどが良いのだ。
私は、愛も悪も必要であると言うインスピレーションが腑に落ちている。