悪の正体

昨日、愛の正体について書いたので、今日は悪の正体について私の理解を書く。

あくまで、私の理解であるが、悪の正体は生存本能・防衛本能だと考える。

「私だけが生き延びたい」「私と私の分身である子孫のみが生き延びれば良い」「他人なんてどうなっても良い」という思いは、生存本能のなせる技だが、自分だけを守りたいと思う心は他人にとっては自分勝手さ、悪として認知される。

悪とはある意味、自分を大切にする心であるので、悪を徹底的に排除して、阻害しようとすると今度は自分を後回しにし過ぎてしまう。自己否定である。

そもそも、生存本能がなけれは、人類のような弱い種族が生き残ることはなかったはずなので、生存本能は絶対的に必要なものなのだ。

そういう意味では、人にとって悪はある程度必要なものなのだ。

自分を守ることは自分にとっては正義であり、他者からは悪に映る。正義と正義の戦いは、裏を返せば悪と悪との戦いである。正義と悪は表裏一体の存在である。

社会においては、自分のみを優先して他人に迷惑かける行為は悪として裁く必要が出てくる。しかし、悪(生存本能・防衛本能)を憎みすぎてはよくないのだ。

適当に他人を踏み躙らない程度の悪(自分を優先されること)は必要なのだ。そこにはバランス感覚が中庸であることが求められると考えている。

私自身は悪とは徹底的に良くないものであると感じていた。それは自己を一番後回しにして、自分に我慢を強いることにつながったと思う。

社会を中心に据えると自分を犠牲にして、自己否定をして最後は自分を殺すことになる。

物事はほどほどが良いのだ。

私は、愛も悪も必要であると言うインスピレーションが腑に落ちている。