わかっちゃいるけどやめられない

クレージーキャッツのヒット曲「わかっちゃいるけどやめられない」は子供の頃から聴いたコミックソング「スーダラ節」の一節であるが、オヤジになって改めて聴くとなんとも人の悲哀を表す曲に聴こえる。

深酒を飲んでベンチでごろ寝が自分にとっても周囲にとっても良い結果を生まないことは皆が知っている。「それダメな奴じゃん」ということをする人のニュースは毎日のように報道される。「わかっちゃいるけどやめられない」人がいかに多いことか。

そんなニュースをテレビやネットで見て、馬鹿だねぇ、脇が甘いんだよ、なんて言っている奴も次は自分の番だったりする。

欲があるからダメなんだなどと言って、禁欲修行に励んでみても、人はずっとは続かない。そして、荒修行をやっても悟れはしない。あのお釈迦様だってそうだった。

そのことをやって、自分にとっても周囲にとっても頭で考えれば、良い結果を生まないことをなぜやってしまうのか。やりたいのだ。頭ではない、何か心のようなものがやりたいと叫ぶ。

ギャンブル、買い物依存、不倫、不正行為、その他もろもろ。ベータエンドルフィン、オキシトシン、ドーパミン、アドレナリンなど快感となる脳内物質がクセになってしまう。心は脳内物資に簡単に左右されてしまう。

ランナーズハイなど走るだけでクセになってしまう。恋の病だって、恋する相手に会えないと禁断症状がでてくる。塩だって、砂糖だって中毒になりうる。

全ては加減の問題でしかなく、何にでも依存症にはなりえる。大好き過ぎるものには依存しているのだ。

わかっちゃいるけどやめられないのは、大好きで大好きで、ベータエンドルフィンが出まくっているので、やめられない。体に備わる仕組みに振り回されているが、とっても幸せである状態でもある。ダメダメだが、とっても幸せ。まあ、一瞬かもしれないが。

催眠術で感情のコントロールをされてみるとそれ自体が実は幻想だとわかる。幻想で何が悪い。その中で生きているのだ、捉え方一つで変わってしまうのがこの世界である。

別にダメダメで良いのだ。ダメダメなことでも、裏を返せば何か良いこともある。きっと、たぶん。