チェルノブイリ原発

ウクライナで300人ほどのロシア兵がチェルノブイリ原発に攻め込んだとニュースが報じている。

細心の注意を払うべき所でなんの心得もない連中だとも言っている。つまりは、ロシアは世界の敵であるという論調である。

今のやっていることで、ロシアが世界の敵であるのは間違いない。

しかし、これを流している側はロシアだけを世界の敵に仕立てているが、カウンターサイドもまた人類の敵である。どちらが正しいなどということはない。戦争を仕掛ける奴も、裏で戦争が起きるように糸を引く連中もみな同じ穴のムジナである。

広報戦術で敵がいかに酷いかを広めるのは戦術としては正しい。兵法でも嘘をついて済むなら、敵を騙せと書いてある。それで戦わずに済むなら立派な戦法である。

テレビを見ている私たちが学ぶとしたらそこではない。戦争というものは人類の愚かさの最たるもので、人の醜さの象徴である。学ぶべきなのは、どちらが正しいのかではなく、どちらも正しくないという事であろう。人はまだまだ愚かなのだ。

ウクライナの戦争にテレビの前で、あっちが正しい、いやこっちだと言っていても仕方がない。できるとしたら、人とどのように向き合えば、今後このような戦争が起きないであろうかと考えること。70億人がそれを本当に考えるなら戦争は無くなるかもしれない。

そんなことを安全な場所から言っても仕方がないという人もいるであろう。

私は戦地にいるならば、やはり武器を取って敵を殺すだろう。体を持つ身で生存本能があるし、私自身も愚かな人間である。あとで後悔はするだろうが、食うか食われるかあれば全力で戦うだろう。

戦地にいないからこそ、このような事を考えられる。それが外から見ているものの使命かもしれない。ウクライナの人たちが人柱になって、他の人々が考え、目覚めるキッカケとなってくれているとも言える。それがウクライナの人たちが望む所でないのは百も承知である。

人はそれぞれが別のストーリーを生き、決して平等でも公平でもない。テレビの前の私が怒ろうが、悲しもうが、起きてしまった戦争を無かったことにはできない。しかし、これから起きる戦争を無くす事はできるかもしれない。

人が肉体を持ち、有限の世界に生きているからこそ起きる問題なので。簡単ではないのだが・・・。